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触れ合う小指

 すっきりと青空が広がるクライストチャーチの街。鐘の音色が空を舞い、ゴンドラがゆったりとエイボン川を行き交う。その中心には、クライストチャーチ大聖堂がそびえ立ち、静かに街を見守っていた。観光地でありながら、その派手さを抑えた落ち着いた雰囲気が好きだと思った。
 大聖堂からほど近い場所にあるバックパッカーズホステルに宿を取った。ボサボサ頭のヒッピー風の受付の青年が私に、ウインクしながら部屋の鍵を手渡してきた。
「OK、ドミトリーだね。今、ちょうど日本人の女の子が泊まっているよ。」
 私は彼の好意を察する気力もなく疲れた体を引きずるようにして部屋へと向かった。部屋には、2段ベットが6つ。旅の疲れがピークだったのか、食事も取らずに深い眠りに落ちた。

 「大丈夫?風邪?熱あるの?」
 目覚めた時、日本語で声をかけてくる女の子がいた。心配そうに私を見下ろしている。
「ああ、自転車で走ってきて、疲れてるだけやから大丈夫。ありがとう。」
と答え、再び眠りについた。
 その日の夜、キッチンで料理をしていると、先ほどの彼女が声をかけてきた。
「あら、元気になったのね。昼間から、死んだように寝てたから大丈夫かと思ったの。私、ナミよ。」
 かなり小柄のナミちゃんは、弾けるような笑顔を見せてくれる。
 ワーキングホリデーでやってきた彼女は、住み心地の良さそうなここで仕事を探しているという、ハワイ生まれの30歳。私も落ち着いた雰囲気のこの街で、少しの間滞在しようと思っていた。
 クライストチャーチはコンパクトな町で、どこへ行くのにも歩いていける。大きなスーパー、美味しいレストラン、エイボン川の遊歩道。そして、夕日に染まる大聖堂の写真を撮りに行くのにも、丁度いい。
 そしてお酒をこよなく愛する私は、大聖堂の裏手にあるバーに足繁く通った。毎晩の生バンド、陽気なスタッフとの交流は、私にとって最高の楽しみになるだろう。

 ある夜、店仕舞いをしているカウンターでひとり飲んでいると、年配の男性が話しかけてきた。
「観光できたの、日本人?日本人は、真面目だから好きだよ。」
と彼は隣に腰掛けた。その無邪気な会話は、バーの音楽と共に心地よく酔わせてくれた。しかし、彼は次第に気分が高揚していくと、
「一杯奢るよ。向こうの席に移動しないか。」
と私を誘ってきた。私はカウンターからキッチンを眺めるのが好きだったので、断った。彼は、それでも構わないと言い、私の横に座っていた。

 不意に彼の小指が触れた。偶然かと思い気にも止めずに居ようと思う。だがそのほんの一瞬の接触に、私は何とも言えない違和感を覚えていた。それは生暖かい、しかし同時に何かを予感させるような感触。その時、カウンターの向こうからバーテンダーの女性が彼に向かって言った。
「彼は、ノーマルだからダメよ。」
彼女の言葉に、私はハッとした。彼は私を誘っていたのだ。
 


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