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No.18 暗く冷たい空気

 バンコクの喧騒を抜け、ファランポーン駅からスラーターニーへと向かう夜行列車は、まるで目的のない私たちの運命のようにゆっくりと時間を刻む。星も隠れるほどの暗闇に包まれた荒野で、時折止まり、自転車が追い越すほどの速さで進む。それでも、ゆかは窓の外を見つめ、静かな夜を楽しんでいるようだった。

「のんびり行きましょ🎵」
 彼女の声は、月明かりに照らされた車内で優しく響く。私はその言葉に惹かれるも、ふと不安に駆られる。「ゆかは、いつまで私と一緒にいてくれるのだろう?」日本での次の仕事が、彼女を待っている。私たちの関係は、終着点のない旅のようだ。
 10時間後ようやく到着したスラーターニーでは、土砂降りの雨が私たちを迎えてくれた。私たちは、観光もしないまま、逃げるようにプーケット行きの乗合バスを捕まえて出発した。
 プーケットでは、メインビーチの騒々しさを避け、静かなビーチで宿を取る。そこは、海が近く常に心地よい風が吹き、時間を忘れさせてくれた。屋台でナマズの塩焼きやソムタムのランチを買ってビーチでくつろいだり、レンタルバイクで島の隅々まで走り回ったり、夢のような時間を過ごした。
 その頃からゆかは、縫い物をするようになった。私がサーフィンをしている間、部屋で寝るまでの静かな時間に、彼女は糸と針を通している。

 プーケットは時が経つのが早く、ゆかのビザ延長期限が刻一刻と近づいて来ていた。そのためにイミグレーションへ行ったが、再延長は叶わなかった。期限を過ぎれば罰金を払わなければならない。「船での国境越えは間に合わないな」そう思っていた。でも、ゆかは笑って言った。
「罰金なんて、払ってしまえばいいのよ。」
彼女のその言葉に、私も笑ってしまった。

 早朝といってもまだ日は昇ってこない。ヒンヤリした湿気が、しっとりと服に張りつき気持ちが悪い。国境を超えるために、乗合バスでハートヤイへと向かったはずだった。ところが、何もない所で降ろされた。方向もわからず真っ暗の中、ただ歩き続けた。まだ町は眠っている。人に尋ねることもできない。ここは、どこなのだ。バンコクでも道に迷い、その時は昼間だったので、人に尋ねることができた。だが、誰に聞いてもまともな英語は話せず、しかも地図を見せても、今いる位置がわからないと言われた。やがて、濃い朝霧の中からハートヤイ駅が現れほっとする。
 しかしゆかは、いつも通り動じることなく、ただひたすら私に、ついて来てくれたのだった。
 
 


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