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No.17 交差点再び

 ほんの2週間離れただけだったけれど、PSゲストハウスは別世界のように感じられた。でも、青々とした広い庭は、遠くから旅人を迎える灯台のように、私たちを優しく包み込んでくれた。
 今の時期は、ヨーロッパの休暇で多くの白人が宿泊していて、私たちは仕方なく1階のドミトリーへ泊まることになった。Teeも珍しく忙しそうで私たちの相手をしている暇もない。

 夜中、ゆかの小さな手が私をそっと揺り起こす。彼女の不安に駆られた瞳で目を覚ます。私たちの部屋の扉を誰かがこじ開けようとしていたのだった。私も怪訝に思い扉に向かって「なんや!」と日本語で声をかけた。扉の向こうで男女の話し声が聞こえる。どうも同じドミトリーの宿泊者で、飲み歩いているうちに門限を忘れてしまい、先生に閉め出されていたようだ。それが分かり、安心したゆかは、関西弁で対応した私が面白かったのか、楽しそうに見つめてくるのだった。

 それから、私たちは寝付けずテラスでこれからの旅路について語り合った。月明かりの下、穏やかな風が庭を横切り心地よい夜の調べを奏でていた。その時、内陸の静かなアユタヤにいながら、私はふと海の潮風を懐かしく思い、
「船に乗りたいな。」
と、言った。ゆかはその言葉に目を輝かせた。そして私は、
「タイとマレーシアの国境を船で越えられるらしいけど、どう?」
と、ゆかに尋ねた。彼女は愛らしい笑顔で頷いてくれた。

 カオサンロードの喧騒は、私たちの心を掴んで離さない。屋台の鍋が踊り、ジュース屋のミキサーが回り続ける。ここに長くいると静かな環境を求めるが、離れると求めてしまう。船での国境越えを決めた私たちは、アユタヤに別れを告げて、バンコクに戻ってきた。
 そして私は、
「一緒の部屋でいい?」
と、ゆかにさりげなく尋ねた。
 私たちは、さらに南へ旅を続けるために、ゆかのビザ延長をしにイミグレーションへ行った。イミグレーションはどこの国でも常に混んでいる。そして宿の近くで食事をし、南の島へ行くので、ゆかに水着をプレゼントした。ゆかは照れくさそうに、「ありがとう」とにっこり微笑み小さな声で言った。

 その夜、部屋で彼女は、
「RIVER MOONゲストハウスで、なぜ別々の部屋って言ったの?」
と、イタズラっぽい目で私を見つめながら、言うのだった。
 大都会バンコクの夜は、相変わらず濃密な空気が心と身体を撫でまわし、人々はネオンの海に包まれて涼を求めて歩きまわっている。

 


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