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サンタ・キアラ聖堂(Basilica di Santa Chiara):アッシジの聖女が眠る美しい聖堂

1. 聖キアラの生涯

今回のnoteでは、アッシジの魅力の一つであるサンタ・キアラ聖堂(Basilica di Santa Chiara)について書いていく。

アッシジの中心部から南東へ少し歩いたところに位置するサンタ・キアラ聖堂(Basilica di Santa Chiara)は、その名の通り、キアラという名の聖人に捧げられた聖堂である。

アッシジゆかりの聖女である彼女は、目や眼病、さらにはテレビの守護聖人とされている(イタリアでは各職業に守護聖人が決められている)。

それでは彼女はどのような功績のもと、列聖され、聖堂が残されるに至ったのか。

まず聖キアラの生涯について説明しよう。

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(この道を進んでいくと聖キアラ聖堂に行き着く)

1212年、キアラ・オッフェドゥッチョ(Chiara Offreduccio;c. 1193/94-1253)は、アッシジの聖フランチェスコの説教をアッシジの大聖堂で聞いていた。

この時、親によって裕福な男性との結婚を決められていたキアラは、聖フランチェスコの説教に感化され、家を捨て信仰生活を選んだ。

こうしてキアラは、修道女のためのサン・ダミアーノ教会にて、清貧、貞節、従順をモットーに祈りと労働の日々を送り、後に彼女の家族も修道生活に入った。

キアラは熱心に聖フランチェスコの教えを守り、また修道女のために活動した。

1253年に亡くなったキアラは、1255年、教皇アレクサンデル4世(Pope Alexander IV;1254-1261)によって列聖され、以降、アッシジの聖キアラとして知られることになる。

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キアラの死後、彼女のためにサンタ・キアラ聖堂が建てられることになるのだが、次の章でその成り立ちについて見ていくことにしよう。

 

2. サンタ・キアラ聖堂の成り立ちとピンク色のファサード

ロマネスク様式のサンタ・キアラ聖堂(Basilica di Santa Chiara)が着工されたのは、1257年のこと。

それはアッシジ聖キアラ(Santa Chiara d'Assisi;1194-1253)の死から4年後のことであり、 1260年には聖堂はほぼ完成し、その後、教皇クレメンス4世(Pope Clemens IV;1265-1268)によって列聖された。

実は聖キアラの遺体は、何世紀もの間、盗難を恐れて隠されていた。

そんな彼女の遺体が再発見されたのは、1850年のこと。

その後、1872年になって、新しく作られた地下聖堂に彼女の遺体は安置されたのであった。


薔薇窓を持つファサードは、アッシジ近郊のモンテ・スバシオ(Monte Subasio)で採掘されたピンクと白の石で造られており、太陽の光に照らされ時間帯によってその見え方も異なる。

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入り口を縁取るアーチの両サイドには、獅子が彫られている。

聖堂の左側には、14世紀に増築された大きな支え壁(buttress)がある。

この聖堂は、緩やかな坂道の途中に建てられており、その基盤を安定させるために工夫が凝らされているのである。

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(門(下部)、薔薇窓(中部)、屋根(上部)と三つの部分に分かれたファサード)

ファサードに近づいてみると、上中下と三つの部分で使われている石の大きさの違いに気づく。

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聖堂に入る前に、聖堂前のサンタ・キアラ広場からの眺めが美しくつい見入ってしまった。

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時刻はちょうど15時前、朝からアッシジの街に立ち込めていた霧が晴れ、柔らかな太陽の光に街が照らされる貴重な時間帯である。

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こちらの写真は筆者の1番のお気に入り。

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空から舞い降りた光のレースのもと、瑞々しいオリーブの木々の優しいグリーンが映える。


広場からアッシジの街を眺めた様子。

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広場からの眺めを堪能した後、聖堂内に入ったのであった。


3. 細やかな装飾にうっとり、サンタ・キアラ聖堂の中へ

3-1. シンプルかつ細やかで美しい身廊と祭壇

前置きが長くなったが、サンタ・キアラ聖堂の中の装飾や所蔵品について説明することにしよう。

聖フランチェスコ聖堂の内部は全面的に撮影禁止だったのに対して、サンタ・キアラ聖堂の内部は撮影可能とのことだった。

そのためこの章では、内装を映した写真をもとに、紹介を進めたい。

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サンタ・キアラ聖堂の身廊は、四つの柱間から成り立っている。


また身廊の左側に位置する礼拝堂は、キアラとともに修道生活を送ったその妹カテリーナ(Caterina;c. 1197/1198-1253)に捧げられたものである。

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アグネスと名乗ることになったカテリーナは、キアラの死後、わずか3ヶ月後に後を追うように亡くなり、列聖され、アッシジの聖アグネスとして知られるようになる。

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レトロで可愛い側廊のガラス。


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聖フランチェスコ聖堂とは異なり、サンタ・キアラ聖堂の壁は全体的に白く、壁に描かれたフレスコ画は少ない。

それは18世紀に壁が白く塗られたためであるが、翼廊(教会の身廊に直角に交わる翼部)には、聖キアラの生涯を描いたフレスコ画が残されている。

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(ちょっと角度と彩度を変えて、もう一枚)

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このフレスコ画を描いたのは、13世紀末の無名の画家とされている。


少し離れたところから祭壇を見てみる。

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祭壇にかけられている十字架は、もともとサン・ダミアーノ教会にあったものであり、1205年に聖フランチェスコに話しかけた十字架という逸話が残っている。

逆に今、サン・ダミアーノ教会に残されている十字架が、この十字架のコピーであるとのこと。

ジャンヌ・ダルクも神の声を聞いて戦うことを決意したとされているように、聖人たちにとって神の声を聞くというシチュエーションは、彼らのストーリーを作る上で重要なポイントとなってくるのである。



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(教会の中から見た薔薇窓)


3-2. 聖キアラが眠る地下聖堂

聖キアラが眠る地下聖堂は、1935年にネオゴシック式に改装されたものである。

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ブルーの天井には細かな星が描かれており、そこはまるで小宇宙である。

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この写真の奥に聖キアラの遺体が安置されているのだが、流石に直接撮影するのは恐れ多かったので、この距離で。

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地下聖堂には、聖キアラの髪や彼女が作った服も一緒に展示されていた。


少し暗い地下聖堂でピントを合わせるのは難しかったのだが、天井画、大理石の柱、ガラスなどなど、どれ一つをとっても地下聖堂の内装は、万華鏡のように色鮮やかである。

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20世紀に改装されたという地下聖堂であるが、この赤、緑、オレンジのステンドグラスは、ポップで可愛らしい。

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聖堂という神聖な場に不思議なほど馴染んでいるのである。

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隅々まで見所がいっぱいの地下聖堂、まだまだ観察したかったが、時間も押していたので、後ろ髪を引かれつつ後にした。

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地下聖堂の階段を登る最中に撮影した一枚。画像44


聖キアラ聖堂から出た時に撮影した青空のアッシジの街。

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以上 、アッシジの魅力の一つであるサンタ・キアラ聖堂を紹介した。

撮影禁止である聖フランチェスコ聖堂の内部について、写真をもとに書くことができなかった一方で、サンタ・キアラ聖堂については、写真をもとにレポートを書くことができた。

サンタ・キアラ聖堂は、13世紀にまで遡る古い歴史を持ちながらも、20世紀に入ってから改装された箇所もあるため、外の正面はロマネスク様式、地下聖堂はネオゴシック様式というなんとも奇妙な組み合わせの上に成り立っている。

白とピンクの素朴な石の色も、艶やかな大理石の白やグレーも、鮮やかなフレスコ画のブルーや赤、これらの色一つ一つは、サンタ・キアラ聖堂の歴史を語るものであり、それらは見る者の視覚に強く訴えかけてくるのである。



サンタ・キアラ聖堂(Basilica di Santa Chiara)

住所:Piazza Santa Chiara, 1, 06081 Assisi, Perugia, Italy

開館時間: 6:30-12:00、14:00-19:00

公式ホームページ:assisisantachiara.it


参考:

"Assisi: Basilica di Santa Chiara", in: Corvinus(2019年3月26日付記事)

umbriatourism.it


(文責・写真:増永菜生 @nao_masunaga

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