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ノルチャ(Norcia):イタリア中部地震の爪痕が残る、霧のむこうの都市

1. ノルチャの夜:須賀敦子先生のエッセイに魅せられて、霧のむこうの都市

1-1. 須賀敦子『霧のむこうに住みたい』

著者がノルチャという都市を知ったのは、須賀敦子先生が、エッセイ『霧のむこうに住みたい』でノルチャについて書かれていたからであった。

筆者は、ルネサンス期の教会国家の研究しているために、ウンブリア関係の論文を読んでいれば、ノルチャ、テルニ、スポレート、トーディ、フォリーノといった地名は次々と目に入ってくるのである。

ところが、ノルチャという都市自体を、はっきりと認識したのはこのエッセイがきっかけであった。

エッセイの中で、須賀先生は、ノルチャについて次のように書き出している。

「そこに行ったことはたしかなのに、ある細部、たとえば土地の名を忘れてしまったために、どこ、と正確にいうことができず、まるで夢を見ただけのような土地がある。私がそこにおとずれたのは、イタリア中部、ウンブリア地方の県庁所在地ペルージャに、ひと夏滞在したときのことであった。」


「フィレンツェやピサのあるトスカーナ地方のすぐとなりなのに、土地の表情にしても、文化の歴史にしても、何百年ものあいだ耕されつくしたトスカーナからは想像もつかないほど荒涼とした風景が、ウンブリア地方の山ひだには隠されている。中世のままの姿、といっても塔やカテドラルの中世ではなくて、山羊や羊と暮らしていた遊牧民の中世が、ふいに目の前に現れることがある。」

(須賀敦子『霧のむこうに住みたい』河出書房新社、2003年)


筆者は最初この冒頭の文章を読んで、とっさに自分の行ったことがあるトーディ(Todi)を思い浮かべた。

といってもトーディはどちらかというと「塔やカテドラルの中世」の街である。

読み進めていくうちに、須賀先生はノルチャという地名を出し、その物寂しい風景を丹念に描写していく。

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(2020年10月29日18時30分の聖ベネディクトゥス広場)

須賀先生によると、その時のノルチャは霧がかかっており、まるで石のように寡黙な羊飼いの男たちが、夏の間、この地で羊とともに草を追うという。

須賀先生は、仲間とのドライブの際にちょっとノルチャに立ち寄っただけとのことだったので、聖ベネディクトゥス聖堂などノルチャにある教会施設には触れることなく、霧と羊飼いの描写に終始している。

須賀先生がノルチャに訪れたのは、1950年代にペルージャの大学でイタリア語を学んでいた頃とのことで、このエッセイはその時のことを、後になって思い出しながら書かれたものである。

それでも須賀先生はこのエッセイの最後で、ゾッとするような、でも心に深く染みつくノルチャに対する印象を述べている。

「こまかい雨が吹きつける峠をあとにして、私たちはもういちど、バスに向かって山を駆け下りた。ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。自分が死んだとき、こんな景色のなかにひとり立っているかもしれない。ふと、そんな気がした。そこで待っていると、だれかが迎えに来てくれる。」

たった数行の文章なのに、死に対する不安と寂しさ、そして希望が全て詰め込まれている。

こんな文章を須賀先生に書かしめたノルチャとはどんな土地なのだろう、

それを知りたい好奇心に駆られた筆者は、スポレートでの史料調査の後、予備日を設けてノルチャに向かった。

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1-2. ノルチャの歴史

次にノルチャの歴史を簡単に説明しておこう。

古代サビニ人の都市であるノルチャ(ラテン語:ヌルシア/Nursia) は、ローマに征服され、その後は重要なムニキピウムの一つとなった。

(※ムニキピウム(Municipium):古代ローマの共同体という意味で使われていたが、共和政末期は自治都市を意味するにようになった。ムニキピウムにはローマ市民権が与えられ、自治権を有するとともに帝国の行政単位となった。ところが皇帝権が強くなるとともに、自治権が失われていき、2世紀以降は崩壊した。)

後に言及する聖ベネディクトは、480年頃にノルチャで生まれている。

12世紀には自治コムーネとして認められていたノルチャであったが、度々、近隣都市のスポレートや教皇庁の権威に服する場面もあった。


常に都市外の状況に影響を受けてきたノルチャであったが、聖ベネディクトゥス聖堂( Basilica di San Benedetto)など、都市には歴史的・文化的な重要な建造物が残されてきた。

ところが都市は、1703年、1730年、1859年と大地震に見舞われている。

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20世紀以降も大きな地震が都市を襲い、その度ごとに人々は、耐震工事を行なってきたが、2016年8月24日 午前3時36分ノルチャ付近を震源としてマグニチュード6.2の地震が起こった(同年10月30日もマグニチュード6.6の地震が発生)。

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この地震で298人が死亡したとされているが、ノルチャでは奇跡的に人的被害は出なかった。

しかしながらこの地震によって、大聖堂をはじめとするノルチャの重要な歴史的建造物のほとんどが倒壊した。

14世紀のファサードが美しい聖堂や市庁舎(Town Hall)など、聖ベネディクトゥス広場周辺の施設はことごとく瓦礫の山と化した。

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2020年現在も、都市は大地震の衝撃から回復しているとは言えず、復旧工事が続けられている。

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常に自然の脅威と戦ってきたノルチャであるが、それと同時に自然の恵も享受してきた。

山々に囲まれたノルチャは、スキーや登山をする人にとっては最高の地である。

ノルチャからバスでおよそ1時間、山を超えたところにはカステルッチョ(Castellucio)という平原がある。

そこに設立された公園(Castelluccio di Norcia the lentil fields)では、毎年春になると美しい花畑を楽しむために大勢の人々がカメラを持って訪れるのである。



1-3. ノルチャに到着した夜、ノルチャ産のプロシュートを味わう

2020年10月29日の夕方、筆者はスポレートからノルチャ行きのバスに乗り、ノルチャに訪れた。

18時半頃に到着したところ、すでに周辺のお店は閉まっていた。

これは2020年10月に出された首相令により、夜18時以降の飲食店のイートイン営業が禁じられたためである。

予約したホテルに訪れてみたが、誰もおらず、灯りもともっていない。

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不安を覚えながら、予約サイトに書かれている番号に電話をかけたら、近くに住んでいるらしい宿主が今から行くから待っていてとのこと。

筆者が予定より少し早く着き過ぎたらしい。

この日、その宿に泊まったのは筆者だけ。

逆にこんな時期に訪れてしまってすいませんという気持ちになったが、宿自体はWifiもつながりとても快適であった。

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30ユーロのこじんまりした部屋だが、必要なものは一通り揃っている。

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一応スポレートのスーパーで購入したチョコレートと水はあったが、他は何もなかったので軽食をテイクアウトできる店を探したがなかなか見当たらず。

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唯一開いていたのは、プリオリ通りに面する食品店。

ノルチャのプロシュートやトリュフなどお土産用の食材を一通り扱っているお店である。

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この時点で、18時55分過ぎ。

お店はシャッターをそろそろ閉めようという頃合いだったらしい。

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パニーニある?と聞くと作れるよとのことだったので、プロシュートのパニーノ4ユーロを頼んだ。

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おじさんがその場でプロシュートを切ってくれパンに挟んでくれたパニーノ。

パンとプロシュート、本当にそれだけであるが、シンプルで美味しい夕食であった。

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ホテルに戻った後は、何となく物寂しいので、テレビを点けながらパソコン作業。

テレビでは、イタリアの番組にありがちな料理対決を延々とやっていた。


Norcia Food Di Alessandro Severini Perla

住所:Corso Sertorio, 50, 06046 Norcia, Perugia, Italy




夜が明けて、10月30日の朝。

宿主は、宿泊施設とともにバールを経営している人だったので、朝食はそのバールで好きなものを食べることができるという仕組み。

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オレンジジュースとエスプレッソと言うと「それだけ?」と色々勧めて、フルーツが乗った掌よりも少し小さいくらいのタルトを選んだ。

シロップ漬けではなく、生のフルーツが4種類乗っていて美味しかった。


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適度にお腹が温まったら、この日の町歩き開始である。

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ところが朝のうちは、街中に霧が立ち込め、もの寂しさに拍車をかけていた。

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本当に霧のむこうは何も見えないのである。




2. 聖ベネディクト聖堂跡(Ruins of Basilica of St. Benedict)

小一時間ほど歩き回っているうちに、徐々に霧が晴れてきた。

ノルチャに来たらここに訪れておかねばならない。

聖ベネディクト聖堂は、聖ベネディクト像とともに、ノルチャの中心にある広場に建っている。

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ここで、ヌルシアのベネディクトゥス(Benedictus de Nursia;480-547)とスコラスティカ(Scholastica)の双子の兄妹が生まれたと伝えられている。

ベネディクトゥスは、529年頃、モンテ・カッシーノに修道院を設け、共同で修道生活を行ったため、修道院の父とされている。

彼の会則に従った修道会の一つは、ベネディクト会と呼ばれており、彼による会則は西ヨーロッパに普及した。

そのためにノルチャの聖堂は、列聖されたベネディクトゥス生誕の地として人々の注目を集めてきた。

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ファサードは、中世に作られたものであるが、内装は、18世紀になってから施されたものである。

2016年の地震によってこの聖堂のほとんどが倒壊し、2020年現在はファサードを残すのみとなっている。

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今は見ることはできないが、聖堂は1290年から1338年の間に造られたというとても歴史あるものである。


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(横から見るとファサードしか残っていないことがよく分かる)


また現在は周りに足場が組まれており見えにくいが、2016年の大地震の後奇跡的に残ったファサードは、柔らかなピンク色をしており、4人の福音伝道者のモチーフで飾られた大きな薔薇窓が中央に付いている。

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14世紀に建てられた聖堂の隣に立つ鐘楼は、1703年の地震で上の部分が崩壊してから、元のものより少し小さなものが建て増しされた。

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その鐘楼も、2016年の地震によって大打撃を受け、今は幕に描かれたイラストでしか知ることができない。


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筆者が訪れた日も、朝から復旧工事が行われていた。


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Google マップのストリートビューや旅行者用のホームページを見ていると、たまに2016年の地震以前の聖堂の姿を目できることもある。

元の聖堂の中にはどのような美術品があったのだろうかと思いを馳せるとともに、復旧作業が順調に進むことを願うばかりである。


聖ベネディクト聖堂跡(Ruins of the Basilica St. Benedict)

住所:Piazza S. Benedetto, 06046 Norcia, Perugia, Italy

公式ホームページ:spoletonorcia.it



3. テアトロ広場(Piazzetta Del Teatro)

聖ベネディクトゥス聖堂がある聖ベネディクトゥス広場をセルトリオ通り(Corso Sertorio)方面にまっすぐ歩いていくとテアトロ広場に行き着く。

写真には収まっていないが、ここには赤い色の壁をした劇場が経っている。

こちらの劇場も、2020年10月現在は工事中でシートに覆われていた。

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(紅葉の後ろに写っているの劇場)

ちょっと脱線するがノルチャではリードをつけずに散歩している(されている?)犬を度々見かけた(犬たちは大人しく飼い主の言うことをよく聞いていた)。

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この広場には第二次世界大戦の犠牲となった市民のための慰霊碑が建っていた。

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(Monumento Dedicato Ai Caduti)


慰霊碑のてっぺんには兵士、広場から見て右側には赤子を抱えた女性、左側には茫然と座り込む男性の像がある。

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いずれの像の表情も険しく、悲しい。

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「祖国のために倒れた子供たちに」(ai suoi figli caduti per la patria)という文字が刻み込まれている。

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テアトロ広場(Piazzetta del Teatro)

住所:Via Circonvallazione, 06046 Norcia, Perugia, Italy





4. サンタゴスティーノ教会跡(Ruins of Church of Sant'Agostino)

14世紀に建てられたゴシック様式のサンタゴスティーノ教会(Sant'Agostino)。

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こちらも損傷が激しく、木の棒でファサードが倒れてこないように支えているという状態であった。

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倒壊する前には、その門に聖アゴスティーノや聖母子などが描かれたフレスコ画があったとのことである。 

また内部は14世紀から15世紀に描かれたフレスコ画で飾られていたという。

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それにしても頑丈に足場が組まれている上に、雨が入らないように屋根まで付けられている。

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ノルチャの道端では、このように瓦礫が積まれているのもよく目にした。

まだまだ復旧作業は続くようである。


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サンタゴスティーノ教会跡(Ruins of Church of Sant'Agostino)

住所:Piazza Margherita, 06046 Norcia, Perugia, Italy

公式ホームページ:comunenorcia.pg.it


5. 悲しみの聖母教会跡(Ruins of the Church of Madonna Addolorata)

悲しみの聖母教会には、18世紀に描かれた聖母マリアの奇跡の絵が飾られていたという。

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こちらも教会の上の部分がなくなってしまっており、屋根が被せられている。

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正面の壁に埋め込まれた像は辛うじて無事であったようだが、その全体的な損傷具合が凄まじい。

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悲しみの聖母教会跡(Ruins of the Church of Madonna Addolorata)

住所:Piazza Sergio Forti, 06046 Norcia, Perugia, Italy



6. サン・ロレンツォ教会(Chiesa San Lorenzo)

しばらく倒壊した教会跡の紹介が続いたが、こちらのサン・ロレンツォ教会は、辛うじて形を保っている。

この教会は、ノルチャで一番古い教会とも言われている。


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この教会は、街の中心の聖ベネディクトゥス 広場からザラ通り方面に向かって歩いていくと行き着くのだが、この通りは地震の衝撃が少なかったらしく、美しい街並みが残されている。

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全体的な倒壊を逃れたとはいえ、教会は、割り箸のような木の棒で全体的に補強されている。

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教会の周りの風景を少し見渡してみた。

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このように街の建物の奥に方に、ノルチャを囲む山々が広がっている。

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そのポッカリと開いた穴に引き込まれてきそうな、美しい秋の山であった。

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サン・ロレンツォ教会(Chiesa San Lorenzo)

住所:Piazza Carignano, 15, 06046 Norcia, Perugia, Italy




7. 城壁の周り

これまで城壁の中の教会を見て回ったが、城壁の外をぐるりと半周だけ周ってみることにした。

ノルチャはとてもこじんまりしている街なので、写真を撮らずにさっさと歩けば半周だと10分くらいで城壁周りを歩くことができる。

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こちらは、ローマ通りから続く、街の南東部にある出入り口。

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ここから街の周りを囲むチルコンヴァッラツォーネ通り(Via Circonvallazione)に出る。

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車が気持ちよさそうに走っていく中、ひたすら歩く。

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城壁の中から見た山も美しかったが、やはり外で見るとその山が纏う空気まで味わうことができて、とても清々しい気持ちになる。

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ここに霧が出ていたら何も見えなかったと思うが、幸い霧が晴れたため、ずいぶん遠くまでよく見える。

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そうこうしているうちに、街の北西部に位置する、つまり出発地点とは反対側に位置する門であるロマーナ門(Porta Romana)に行き着く。

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この門の外には、いくつかレストランが集まっているエリアがあったがこの時は閉まっていた。

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この門のそばには郵便局があり、イタリア建国の父ガリバルディとヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のレリーフが壁に埋め込まれていた。

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ローマ門からはテアトロ広場、聖ベネディクトゥス広場へと続くプリオリ通りが伸びており、この前の晩に、プロシュートサンドを買ったお店もこの辺にある。

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もう半周も軽くできたと思うが、この門から城壁内に入ることにしたのであった。



8. 物悲しくも美しいノルチャ

最後にノルチャの街並みを撮影した写真を紹介していきたいと思う。

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これまでにも少しずつ、街並みを写した写真を載せてきたが、ノルチャを歩くうちに気づけば撮っていた写真がたくさんカメラのメモリに溜まっていた。

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少し小高い丘になっているノルチャでは、家と家の隙間から、まるでルネサンス期の絵画の背景のような山が広がっているのである。

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小さな泉。

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(Fontanella de Ciancone)


街の至る所で工事を行なっており、倒壊した建物もよく見るけれど、変わらずそこで生活している人もいる。

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(2階と地上で会話する人々。ミラノだともっと建物が高いので、4-5階と地上で会話している人もたまに目にする)


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似たような構図の写真ばかりであるが、このような風景を見ていると物悲しさが胸をこみ上げてくる。

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それと同時に懐かしさを感じるのは、筆者自身が、北陸の山の方で育ったせいであろうか。

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田舎を嫌ってというよりも、自分が勉強したい場所を選んで行った結果、京都、東京、そしてミラノへと次々と華やかな街を移り住んで行った20代であったが、このような寂しい山の風景にどこか心惹かれている自分もまだいる。


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(売りに出されている物件)


ちなみにこちらの手前に写っているのが、筆者が宿泊したホテルなのだが、その隣の建物は倒壊したらしく工事が行われていた。

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とても狭いエリアで、地震で崩壊した箇所と無傷だった場所がモザイクのように入り組んでおり、なんとも不思議な印象を受けた。

またそれと同時に、一寸先は闇というか、生きるか死ぬかを分ける要素はほんの小さなものであり、常に自分たちは死という穴と隣り合わせで生きていることを実感したのであった(ノルチャでは地震による死者はいなかったものの)。



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さてノルチャの観光をおよそ半日で終え、14時台のスポレート行きのバスを待つことにした。

朝などは別にして、このような地ではバスは1時間に一本あるかないか、その上、終バスもかなり早い。

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そのために乗り逃したら、スポレートからの移動に支障が出ると、バスが出る15分前くらいからこの辺りをうろうろしていた。

結果的にバスは5分遅れでやってきたのだが、時間通りに来ないバスにヤキモキした。

ミラノならば、ちょっと待てば次のバスが来るし、ちょっと歩けば別のラインのバスに乗ることができる。

バスを乗り逃すと二度とこの僻地の町から出られないかもしれない、そんなちょっとした恐怖を味わいながら、紅葉と青空を見つめていたのであった。

(※ノルチャ発スポレート行きのバスは14時台以降もあるが、この日はスポレートから別の列車に乗る予定だったので、なんとしても14時台のバスに乗りたかったのであった)



参考:

Umbria Tourism(Norcia)(2020年11月29日最終アクセス)

・須賀敦子『霧のむこうに住みたい』河出書房新社、2003年。




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