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【後編】TENOHAにて開催、日本の怪談をイタリア・ミラノで味わう企画展:Fantasmi & Spiriti del Giappone – Don’t cross the red bridge

【前編】に引き続き、ミラノのTENOHA(テノハ)で開催中の日本の怪談についての特別展を紹介していこう。


1. 夏の日の夢

小泉八雲の『夏の日の夢』(1894年)は、浦島太郎をもとにした話である。

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浦島太郎のストーリーといえば、日本人ならば誰しもが絵本で読んだことがあるであろう御伽噺の中でも有名なストーリー。

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浦島太郎は海辺で亀を助け、亀を助けたお礼にと竜宮城に招かれる。

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竜宮城で夢のような時間を過ごすうちにあっという間に3年の月日が経ってしまった。

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「残してきた親のことが心配だから」と浦島太郎は地上に戻ったが、地上と竜宮城では時の流れが異なり、地上では何百年もの月日が経ってしまっていた。

当然、浦島太郎を知る者もおらず、途方に暮れた浦島太郎は、竜宮城から持ち帰った玉手箱を開けた。

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すると浦島太郎は一気に老け込みおじいさんになってしまった。

こうやって書き出してみると救いどころのない話であるが、日本ではこれを幼い子供に聞かせるのは、人の一生はあっという間だから、遊び呆けたりせず努力せよということなのであろうか。

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このnoteでは動画でお見せできないのが残念だが、このブースでは波に揺られて動く浦島太郎が、四方の壁を囲むスクリーンと床に映し出されていた。

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物語の中の「箱」に着目してみると、浦島太郎の場合は玉手箱の中に「老い」が入っていたが、ギリシア神話のパンドラの箱の場合は「妬み、嫉み、病、憎しみ、怒りなど人間のあらゆる悪、最後に希望」が入っていた。

どちらも「決して開けてはいけない」と言われるものであることは共通しているが、ある意味、浦島太郎の場合は、開けてよかったのだという考え方をする人もいるかもしれない。

というのも竜宮城から戻ってきた数百年後には自分が知っている人もおらず、全てが何もかも異なる。

そんな世の中で生きるよりは一瞬で老いて消えてしまった方が良い。

そう考えることもできるが、筆者は開けない方が良いと方に一票を入れたい。

確かに親しい人がいないのは悲しいが、若い体さえあれば数百年後の世の中でなんとか生きていけるであろう。

それどころか新しい技術や文化を見てみたい気もする。

いずれにせよ浦島太郎は、「○○してはいけない」を二つやってしまったようだ:一つは竜宮城にうっかり足を踏み入れてしまったこと、もう一つには玉手箱を開けたこと。

この展示の最初に「赤い橋を渡ってはいけない」と言われたが、誰かがその「いけない」をやってくれないと怪談は始まらないのである。



2. ろくろ首

結論から言うと、個人的にこのブースが一番怖かった。

ろくろ首というと、首が蛇のように伸びるタイプと首が胴体から離れて飛び回るタイプがあるが、今回の怪談で扱われているのは後者である。

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およそ500年前、九州の菊池家に仕えていた男が主君を失った後に出家し、諸国行脚に出かけた。

甲斐国にやってきた時、僧はいつものように野宿しようとしたが、丁寧な物腰の木こりがやってきて、この辺は危ないから自分の家に来るようにと親切な申し出をしてくれた。

この木こりを信用した僧は、木こりの家に行くことにした。

木こりの家に行くと、木こりの他に四人の男女がその家にいた。

夜もふけ、僧はそっと木こりと四人の男女がいる部屋を見ると、布団に入っていた五人全員の首から上がなかった。

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ここで僧は「やや、ここはろくろ首の家だった」ということに気づいた。

首のない胴体を別の場所に移すと、飛び回っている首はその胴体に戻ることができないということを思い出した僧は、五つの胴体のうち、自分をこの家に案内した木こりの胴体をむんずと掴んで屋外に出した。

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(鏡に映った首のない人形、怖い)

僧が家の近くの雑木林に足を踏み入れてみると、飛び回っている首を見つけた。

木こりの首は「俺の胴体を動かされた!これでは体に戻れない。おのれ!」と僧に襲いかかってきたが、ここはもとは武士の僧。

木こりの首と揉み合いになり、殴りつけた。

しぶとい木こりの首は僧の着物の袖に噛みついたまま、動かなくなった。

【注意!】

ここから下4枚の写真は、ろくろ首のオブジェを写したものである。

わりとリアルで恐ろしいので怖いのが苦手な人は、スクロールして写真を飛ばすことをお勧めする。




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怖い。

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だめだ、夢に出てきそうである。

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さて木こりの家を離れた僧は、首を袖につけたまま別の街へ移動したが、その地の役人は、この僧が人殺しをしてその首をわざわざつけて歩いているのではないか疑った。

役人に捕らえられた僧は、ことの顛末を話したが、役人たちは信じない。

それでも飄々としていた僧は、ふと自分の出家前の名前を口に出した。

役人たちの中に、武勲に秀でた武士として有名だったこの僧の元も名前を覚えているものがいたため、そうか、かの有名なあの方だったらろくろ首も退治できるであろうと、僧は役人たちから称賛され、釈放された。

さらに袖に首をつけて歩いていた僧(もうこの辺で着物を脱げばいいのにと思ったりもする)、山賊たちに取り囲まれ、この首を売って欲しいと言われる。

山賊たちは、この首を持って歩けば自分たちが強く見えるだろうと思ったのであった。

僧は、ろくろ首の顛末を話した後、「これは普通の人間の首ではない。物の怪の首である。それでもいいのか?」と何度も念押しした。

山賊たちはそれでも欲しがったので僧は、首を山賊たちにやることにした。

首を受け取った山賊たち、受け取った途端に急に怖くなって、この首を埋めて弔うことにした。

こうして人々に恐れられる首塚ができたのであった。


参考:小泉八雲「ろくろ首(ROKURO-KUBI)」田部隆次訳『青空文庫』より



3. フランス人アーティスト ベンジャミン・ラコンブ(Benjamin Lacombe)

本展は、フランス人アーティスト ベンジャミン・ラコンブ氏(Benjamin Lacombe)の作品をもとに日本の怪談の世界観を再現しているものである。

今までにもラコンブ氏の作品は登場しているものの、本展の順路に沿ってnoteを書いているので、ここにきてようやく紹介する形になった。

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ベンジャミン・ラコンブ氏は、1982年7月12日パリ生まれのフランス人作家・イラストレーター。

国立高等装飾美術学校(ENSAD;École Nationale Supérieure des Arts Décoratifs)で学ぶ傍ら、広告やアニメーションの仕事に取り組んだラコンブ氏。

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彼が手がけたおよそ40の本の一部は、世界12カ国語で翻訳され刊行されている。

代表作は次の通り:『妖精の薬草畑』(L'herbier de fées; 2011)、 『不思議の国のアリス』(Alice Au Pays Des Merveilles; 2015)、(La Meilleure Maman du Monde; 2021)、 『日本の怪談』(Histoire de fantômes du Japon; 2019/ イタリア語版Storie di fantasmi del Giapponeは2021年刊行)、『フリーダ』(Frida)。

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またこれまでに、ヴェルサイユ宮殿(フランス)やABC美術館(スペイン・マドリード)、ルッカの王宮(ルッカ・イタリア)、ドロシー・サーカス(Dorothy Circus ローマ、イタリア)、びわ湖ビエンナーレ(日本)、そしてNucleus(ロサンゼルス、アメリカ)などで展覧会を開いた。

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2019年に刊行されたフランス語版『日本の怪談』(Histoire de fantômes du Japon)においてベンジャミン・ラコンブ氏は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した文学者小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』に着想を得て、伝統的な日本の物語に彼独特の感性で息を吹き込んだ。

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2021年にはリッポカンポ社(L'Ippocampo)によってイタリア語版の『日本の怪談』(Storie di fantasmi del Giappone)が出版され、さらなる反響を呼んだ。

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このラコンブ氏が描く『日本の怪談』の主人公は、古くから日本では恐れられると同時に敬われてきた日本の自然でもある。

それは決して目に見えるものではないのだが、時には厳しく、また時には優しく包み込むように、常に人間のそばにある、取り巻いているものである。

海や池、暗闇、桜...独特の空気感を持つ日本の風土を舞台に、幽霊や妖怪、そして人間たちが織りなす物語は、ラコンブ氏の筆に乗って軽やかに動き出す。

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参考:ベンジャミン・ラコンブ(Benjamin Lacombe)公式ホームページ(benjaminlacombe.com


4. 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン;Lafcadio Hearn(1850 - 1904))

ベンジャミン・ラコンブ氏が『日本の怪談』を描く上で大きな影響を受けたのがギリシア出身のアイルランド人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン; Patrick Lafcadio Hearn(1850 - 1904))である。

彼の数奇な人生について見てみよう。

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ラフカディオ・ハーンは、1950年にギリシャで生まれたが、幼い頃にアイルランド・ダブリンに移り、大叔母の元で育てられた。

少年時代のラフカディオ・ハーンは、大叔母の書斎でギリシア文学や神話を読み耽り、目に見えないものの力や妖怪への興味を育んだ。

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1890年、新聞社の特派員として来日したハーンは、日本の風土を気に入り、長期滞在を決めた。

その後、松江で英語教師となったハーンは、 士族の末裔の娘である小泉節子と結婚し、西洋人として初めて日本国籍を取得。

以降、小泉八雲と名乗ることとなった。

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1896年から1903年には東京帝国大学にて英文学科講師勤務。

その傍ら、1904年に亡くなるまで精力的に執筆活動を行なった。

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ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲は、日本の民話や怪談を読み解き、『怪談』を執筆する上でそのインスピレーションのもととなったのは、孤独で不安定であった自身の子供時代の体験であった。

見えないこと、分からないことへの恐れは、異文化や自然界への好奇心を掻き立てるものでもあった。

幼い頃から故郷を持たずに生活してきたラフカディオ・ハーンが安住の地として選んだ明治の日本。 

ハーンが日本の風土や伝説、見えないものへの力を感じ取る心や敬う気持ちは、人一倍大きいものであり、それらは作品に反映されているのである。


参考:

「小泉八雲の生涯」『小泉八雲記念館公式ホームページ』

関川夏央  原作/ 谷口ジロー『「坊ちゃん」の時代 第一部』双葉社、1987年。


5. 狐

日本昔話や民話でも、知的で狡猾、でも人間に優しいこともあるキャラクターとしてお馴染みの狐。

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狐と人間の関係は古来に由来し、少なくとも8世紀頃には神社は、狐を化身とする稲荷神を祀っていたという。

稲荷神は、稲作、収穫、農耕、豊穣を司る女神である。

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この稲荷神は、日本が誕生したとき、白い狐の背中に乗ってやってきたと伝えられている。

その時、この女神は、天から穀物を運び、人々を飢えから救ったのであった。

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慈悲深い女神の化身である狐を祀る稲荷神社は、人々に恵みをもたらしたこの女神の行いを永遠に伝えることになった。

稲荷神社は全国各地に点在しているが、一番最初に建立されたのは、京都の稲荷山の稲荷神社である。

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また一般的に狐は、「野狐」(悪い狐)と「善狐」(良い狐)に分けられ、地球上の生命の二元性を表現していると言われている。 

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しかしながら良い狐か悪い狐かは、人間が出会う時の状況やその人間自身の状態によって変わってくるという。

良い狐と言って真っ先に思い浮かぶのは「ごんぎつね」ではないであろうか。

つんとしたイメージの狐であるが、ごんぎつねは人間から受けた恩を忘れない健気な狐である。

妖艶にも、狡猾にも、そして忠実にもなる狐、それは人間自身を写した鏡のようである。


6. 生き霊

最後の怪談は「生き霊」のエピソードである。

昔、江戸に喜兵衞と云う金持ちの瀬戸物商がいた。

喜兵衞は、とても気の利く六兵衞と云う番頭を長く使っており、店は大変繁盛していた。

そこで新しい手代を雇う話になり、喜兵衛は自分の甥を手代として呼び寄せることにした。

わずか22歳ほどの若い甥も商売の才があり、店のために一生懸命働いた。

ところがだんだん甥の体調は悪くなっていき、寝付く日が多くなった。

心配した番頭の六兵衛は「さては若者に多い恋煩いかな」と甥に問いただしてみることにした。

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すると甥は驚きの告白をした。

毎日自分を苦しめているのは、他ならぬ自分の叔父・喜兵衛の妻であるということを。

番頭の六兵衛は驚いた。

なぜならば喜兵衛の妻は生きている人間であったからである。

六兵衛は勇気を持って主人の喜兵衛にこのことを伝えた。

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ショックを隠せない喜兵衛は、自分の妻に問いただした。

すると妻は「もし頭の切れる手代の甥と番頭の六兵衛が組んだら、うちの店は乗っ取られてしまう。なぜならば自分たちの息子はおっとりしており、彼らには太刀打ちできないだろうから」と言う。

これについて頭を抱えてしまった喜兵衛は、お店を江戸の外に暖簾分けし、その支店を甥と六兵衛にやらせることにした。

すると甥の体調はみるみるうちに回復したのであった。

生きている人間が一番怖いということであろうか。

人を呪わば穴二つ、という諺がある通り、他人を妬み、嫉み、憎しむことにも大きなエネルギーが要る。

階段の中には救いようのない話や理不尽な話もあるが、結局は、悪いことをせずよく生きよということを伝えてくれる教訓的な話が多いと思ったのであった。


参考:小泉八雲「生霊(IKIRYO)」田部隆次訳『青空文庫』より


7. 物販

展示を見終わると物販コーナーに行き着く。

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そこには1ユーロのお面や2ユーロの缶バッチ、3.5ユーロのピンバッチなど小さなものから、15ユーロのトートバックや20ユーロのTシャツまで色々な商品が揃っている。

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そのほか、日本の食品も一部扱っている。

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この無地の1ユーロは、自分でペイントできる仕様なのでハロウィンなどイベントの時に使えそうである。

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オリジナルデザインのピンバッチたち。

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Tシャツやトートバックは日常生活でも使いやすそう。

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最後は、元来た雪女のブースから赤い橋の方を渡って出口に出ることができる。

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以上、いくつもの怪談とともにTENOHAの展示を紹介した。

どのブースも物語の世界観を見事に再現しており、まるで怪しの世界に迷い込んでしまったかのような気持ちになった。

「赤い橋を渡っては行けない」と言われたが、最後はちゃんと赤い橋を渡って帰ってくることができた。

怪談とは、一応ファンタジーであるということが分かっているからこそ楽しめるもの。

現(うつつ)と夢(ゆめ)の境目が曖昧になってしまったら注意である。

全力で現実に戻ってこよう。


Fantasmi e spiriti del Giappone – Don't cross the red bridge

会場:TENOHA Milano

住所:Via Vigevano, 18, 20144 Milano, Italy


会期:2022年9月9日から2023年1月15日まで

チケット:16ユーロ(一般)、14ユーロ(割引料金)

公式ホームページ:fantasmi.tenoha.it










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