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サンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella):歴史ある修道院発祥のコスメショップ、フィレンツェ本店を紹介
イタリアのフィレンツェに本店を置く、世界最古の薬局サンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)。
扱う商品は、ローズウォーターや香水のほか、石鹸やポプリ、ルームフレグランスなど、その優れた品質とデザインから、世界中の人々の心を掴んでいる。
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今回のnoteでは、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ本店に訪れたときの写真をもとにその歴史と主な商品について説明していきたい。
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1. サンタ・マリア・ノヴェッラの歴史
1-1. ドミニコ会修道士たちが生んだハーブウォーター
サンタ・マリア・ノヴェッラの歴史はとても古く、その起源は1221年にまで遡るとされている。
サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院を設立したドミニコ会修道士たちは、その庭で薬草やハーブを栽培しており、そこでは薬学の研究が行われていた。
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修道士たちは、人々の病を「癒す」ための薬の製造に取り組んでおり、1381年には、ローズウォーターが作られたとされている。
イタリアのみならず、イタリア全土でペストが度々流行した14世紀において、消毒効果が期待できるローズウォーターは重宝されていた。
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また現在でも、サンタ・マリア・ノヴェッラのフィレンツェ本店として使われているサン・ニコロ礼拝堂は、14世紀の商人ダルダーノ・アッチャイウォーリの資金によって着工されたものである。
この商人は、病気になった際にドミニコ会修道士の手厚い看護を受けたことから、彼らへの資金提供を決意したのであった。
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その後、19世紀に入ってから行われた改修によって、この礼拝堂は今とほぼ同じ姿となり、このゴシック様式の礼拝堂は、フレスコ画で装飾された。
この重厚な造りの薬局では、当時から設置されているブロンズ像や木造の彫刻を鑑賞することができる。
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1-2. 王妃の水、現存する最古の香り
香水の種類が豊富なサンタ・マリア・ノヴェッラであるが、その中でも最古のレシピとして伝わっているアクア・デッラ・レジーナ(Acqua della Regina;王妃の水)について言及しないわけにはいかない。
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この香水は、メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis;1519-1589)が、1533年、フランスの第2王子オルレアン公アンリ・ド・ヴァロワ(後のフランス国王アンリ2世)との結婚する際にフィレンツェからの贈り物として生まれたものである。
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![画像35](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060435/picture_pc_f40f03e3ecc7603d9d4e27a611717b7b.jpeg?width=800)
![画像36](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060437/picture_pc_a4c7bd674309e4fd68fbbf52c54e36e7.jpeg?width=800)
「王妃の水」と呼ばれたこの香水は、フランスの宮廷の人々の間で人気となったとされている。
![画像37](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060442/picture_pc_9c6a9560f1e335a82c1ea25bc0782304.jpeg?width=800)
![画像39](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060447/picture_pc_c4acae317fc16e94778918c16825b32e.jpeg?width=800)
ところがこのカトリーヌ・ド・メディシスといえば、1572年にフランス各地で起こったサン・バルテルミの虐殺を思い浮かべる人もいるであろう。
カトリーヌは、ウルビーノ公ロレンツォ2世・デ・メディチ(15世紀に活躍したロレンツォ・デ・メディチの孫)の娘として生まれたものの、幼くして両親を失う。
1533年には、同じくメディチ家出身の教皇クレメンス7世によってフランスの王家との結婚が取りまとめられるものの、二人の夫婦仲は冷め切っていた。
それでもなお、カトリーヌは、10人の子供を産み、そのうちの三人がフランスの王座についている。
その息子の一人のシャルル9世(Charles IX de France;1550-1574)の治世において、フランス国内では、カトリックとユグノー(フランスのカルヴァン派)の宗教的・政治的対立が日に日に深刻化していった。
1572年には、フランス各地で、老若男女問わず、プロテスタントが大量虐殺された(サン・バルテルミの虐殺)ことから、カトリーヌ母后は悪名を歴史に残すことになったのである。
![画像14](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060280/picture_pc_f9a9f04c85906bac5ffb03fb00297905.jpeg?width=800)
この事件については、1994年の映画『王妃マルゴ』に生々しく描かれているので、気になる人は要チェックである(この映画の主人公はカトリーヌではなく、カトリーヌの娘で、後のフランス王アンリ4世の妻マルゴである)。
1-3. 修道院からの独立、本格的な経営の開始
修道院の活動の一環として始まったサンタ・マリア・ノヴェッラでの製造活動は、16世紀半ばから17世紀頭にかけて、修道院から独立し、正式に薬局として認可された。
![画像15](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060282/picture_pc_4db243b13b7a5617404471160efe2ae4.jpeg?width=800)
その後も、ドミニコ会修道士が経営において中心的な役割を担っていた。
例えば初代の薬局長は、植物学をはじめとする様々な知識を持って経営にあたったフラ・アンジョロ・マルキッシ(Fra Angiolo Marchissi;1592-1659)であった。
当時のフィレンツェを支配していた第五代トスカーナ大公フェルディナンド2世・デ・メディチ(Ferdinando II de' Medici;1610-1670)から重用されていた修道士マルキッシ。
![画像16](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060329/picture_pc_b46af3efda41b05c62370cdebc93c88d.jpeg?width=800)
![画像17](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060349/picture_pc_0b11f1167b951dc76395c37531224b5f.jpeg?width=800)
以降、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、「フォンデリア・ディ・スア・アルテッツア・レアーレ」(王家御用達製錬所 Fonderia di Sua Altezza Reale)として指定されるほど成長し、その製品はイタリア国内外で有名となっていった。
19世紀初頭、フランスのナポレオンがイタリアを制圧すると、修道会およびサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は閉鎖の危機に陥ったが、フランスに地代を納めることを条件に活動を再開した。
イタリア半島全体で、フランスの影響が強まる中、ドミニコ会修道士としては最後の薬局長となったフラ・ダミアノ・ベニ(Fra Damiano Beni;1806-1869)は、薬局の運営をいよいよ全面的に修道士たちから俗人へと移すことに決定した。
![画像18](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060353/picture_pc_62a735535ee60d837d28263969de8efa.jpeg?width=800)
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![画像20](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060361/picture_pc_5832a3bfa18f5b7b79fe36b02b00e6c1.jpeg?width=800)
![画像24](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060378/picture_pc_3ef6d2513e10239a9b03f0da6298ecee.jpeg?width=800)
このような経緯で修道士ベニの甥であるチェーザレ・アウグスト・ステファニ(Cesare Augusto Stefani)がサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の権利を手にしたことに対し反発があったものの、結果的に19世紀における宗教と政治の問題から、薬局を切り離すことにつながったのであった。
![画像25](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060381/picture_pc_1a3f32c22376f55115595de1d6c05bcc.jpeg?width=800)
こうして現在に至るまでステファニ家がサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の伝統を守り抜き、様々なレシピを今に伝えているのである。
![画像26](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060382/picture_pc_8f522a8d0c7e65ffca03a6126d24411a.jpeg?width=800)
![画像27](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060383/picture_pc_5a52389d06befa9840476a69943ac0e7.jpeg?width=800)
![画像28](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060385/picture_pc_01de75e872a8d6c8f717811b83b949a1.jpeg?width=800)
![画像40](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74413050/picture_pc_509f0d65277166e4c571d38cf347bc9e.png?width=800)
1-4. 14世紀から伝わるフレスコ画、まるで美術館のような店内
先述したサンタ・マリア・ノヴェッラのフィレンツェ本店の敷地内にあるサン・ニコロ礼拝堂、この礼拝堂の美しいフレスコ画についてもここで触れておこう。
14世紀の商人ダルダーノ・アッチャイウォーリの資金によって建てられたこの礼拝堂には、鮮やかなフレスコ画が残されている。
![画像29](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060387/picture_pc_c47f7eab8516d395082a6ce59c347481.jpeg?width=800)
![画像30](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060388/picture_pc_ceb703d77a60bcfd8c7ee70ff60692dd.jpeg?width=800)
ここに描かれているのは、マリオット・ディナルド(Mariotto Dinardo)が1385年から1405年にかけて手がけた「キリストの受難」の場面である。
また十字架の下には、依頼主のアッチャイウォーリ家の紋章のシンボルでもあるライオンが描かれている。
![画像31](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060389/picture_pc_721f8a2d01d6d3a0371adfd05ed187ee.jpeg?width=800)
十字架の下で膝をついている男は、同じくアッチャイオーリ家出身のフィレンツェ司教アンジェロ・アッチャイオーリ(Angelo Acciaiuoli)であり、彼は、1385年に枢機卿となっている。
![画像32](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060391/picture_pc_243b68ad87ee940e686042510cbc5e77.jpeg?width=800)
![画像33](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060394/picture_pc_ddf3b6de0f7bc8a8a7230cc214e31385.jpeg?width=800)
![画像34](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060396/picture_pc_a2de5e0ce92dabf71e41093511569a2e.jpeg?width=800)
![画像35](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060399/picture_pc_7d74a05ec3338a8f41c0dedc8c5dd9af.jpeg?width=800)
そのほか、先の節で紹介した薬局の販売室には、胡桃の木でできた重厚な棚やネオゴシック様式で飾られたカウンターがあるため、ここに足を踏み入れた人は、この薬局全体をまるで美術館のようだと思うのではないであろうか。
![画像41](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74413097/picture_pc_4d805b3e18bed08456894a7a1f97a328.png?width=800)
2. サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局より、購入品紹介
2-1. 香水とシルクサシェ
まず筆者が購入したのは香水とポプリが入ったシルクサシェ。
確か2020年頃までは、100mlの香水は90ユーロだったと記憶しているのだが、今は価格が改定されたらしく全体的に商品の値段が上がっている(2022年4月現在、110mlの香水は110ユーロ)。
シルクサシェは、カバンに入れたり、クローゼットに入れたりして香りを楽しむことができる。
カバンを開けた瞬間に香りがするというのは、なかなか嬉しいもの。
二つ写っているサシェのうち、一つは貰い物なのだが、イタリアでは2022年4月現在、サシェは30ユーロ。
日本での販売価格は7480円と、イタリアで購入した方が断然お得な商品でもある。
2-2. スプレーバイアル(Compact Atomizer)
こちらは旅行時に手持ちの香水を入れて運ぶためのボトルである。
![画像41](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060454/picture_pc_ec5263db7d211e9c64a6a3a6913a37b5.jpeg?width=800)
15mlのボトルのため、機内にも持ち込みすることができる。
![画像42](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53060456/picture_pc_259e71e1ebe4f202a7b7a95766ff5ead.jpeg?width=800)
こちらはイタリアでの販売価格は12ユーロ、日本での販売価格は3960円(2022年4月現在)。
スッキリしたフォルムのボトルは持ち運びに最適かつ、ブルーと金の配色が美しいデザインである。
2-3. ハンドジェル
こちらはお出かけの際に欠かせないハンドジェル6ユーロ(日本での2022年4月現在の販売価格は2200円)。
![スクリーンショット 2022-03-16 17.04.08](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74415551/picture_pc_3f1de0023b83350879f6aebecea5d073.png?width=800)
プラスチックの軽い容器であるが、サンタ・マリア・ノヴェッラのロゴ入り、中のジェルはレモンの香りが爽やかな仕上がりとなっている。
いつも持ち歩くジェルもデザインが可愛らしいと、鞄から取り出したときに嬉しくなるものである。
2-4. 詰め替え用ポプリ
こちらは詰め替え用のポプリ 20ユーロ。
![画像42](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74752984/picture_pc_be572a216e2d68287e61d64f868757b7.jpeg?width=800)
去年までは16ユーロだったのに値上がりしてしまった。(パッケージデザインも2022年3月から変更したとか)
シルクサシェの中身のポプリをお得用サイズでこのように買えるわけだが、こちらは部屋においてルームフレグランスとして楽しんでいる。
3. サンタ・マリア・ノヴェッラ ミラノ店の紹介
最後にサンタ・マリア・ノヴェッラ ミラノ店の紹介をしたい。
毎回フィレンツェの本店を利用するわけにもいかないので、筆者がよく利用するのはミラノ店である。
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フィレンツェ本店ほどのインパクトはないものの、品揃えが豊富、白が基調の美しい店内である。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/52232663/picture_pc_c21e574f1faaae1680fde1e912fb875b.jpeg?width=800)
イタリア国内では2019年頃から、化粧品に限らず、色々なものが値上げしているので、サンタ・マリア・ノヴェッラの商品も一部値上げしているのものがちらほらある印象を受けた。
それでも日本で購入するよりもだいぶ安くユーロで購入できるため、機会があればお土産としてリクエストする、また自分で買い求めるのもおすすめである。
サンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)フィレンツェ本店
住所:Via della Scala, 16, 50123 Firenze, Italy
営業時間:10:00-19:00
公式ホームページ(日本語版):santamarianovella.jp
公式ホームページ(英語版):eusmnovella.com
サンタ・マリア・ノヴェッラ ミラノ店
住所:Via Madonnina, 11, 20121 Milano, Italy
営業時間:10:00-19:30
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