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200年続くパリのジュエラー・ヴェヴェールが織りなすアール・ヌーヴォーの世界:Dans l'intimité de Vever, Bijoux et Objets d'art depuis 1821

1. 1821年創業 ヴェヴェール(Vever)の歴史と復興

1821年にフランスで創業した老舗宝石店ヴェヴェール(Vever)

格調高いアール・ヌーヴォー様式のジェエリーで一世を風靡したジュエラーであるヴェヴェールは、メゾンの閉鎖と再興を経て、今はパリ2区のショールームやプランタンにてその作品を展示・販売している。

そんなヴェヴェールは、2023年6月1日から8月11日まで「ヴェヴェールの親密さの中で、1821年創業のジュエリーと芸術品」(Dans l'intimité de Vever, Bijoux et Objets d'art depuis 1821)と題した小さな特別展をパリのショールームで開催した。

1821年にピエール=ポール・ヴェヴェール(Pierre-Paul Vever)によってフランス東部のメスで創業したヴェヴェールは、1861年のメス万国博覧会で初のグランプリを獲得した息子のアーネスト(Ernest)が引き継いだ。

1871年、アーネストはパリに移り住むことを決意、ナポレオン3世の御用達であったギュスターヴ・ボーグラン(Gustave Beaugrand)から宝石店を買い取り、10年後に息子のポール(Paul)とアンリ(Henri)にメゾンを引き継いだ。

この3代目のアンリ・ヴェヴェール(Henri Vever)こそが本展の中心人物である。

アンリは、画家ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)に師事した画家であり、アール・ヌーヴォーの真のパイオニア的存在でもあった。

彼は、経営を担当した兄ポールの助けを借りつつ、そのセンスによってフランスの宝飾技術とセンスを洗練させ、1889年のパリ万博など大規模な展覧会で数々の賞を得たほか、ペルシャ国王、ロシア皇帝アレクサンドル2世、德川家達、ベル・オテロなどを顧客として抱えていた。

その後もヴェヴェールは、家族経営を続けたが、1988年には一度閉鎖された。

2021年のメゾンの復活を経て、7代目当主カミーユ・ヴェヴェール(Camille Vever)は、メゾンの友人や家族から約50点のジュエリーとオブジェを借り受けて、アンリ・ヴェヴェールの創造の世界を振り返る特別展を企画した。

それは、書物愛好家、美術品コレクター、フランスのジュエリーの第一人者、旅行家、アール・ヌーヴォーのパイオニアなど、アンリ・ヴェヴェールの華麗で多彩な個性を物語るものである。

それでは早速、展示の内容を紹介していくことにしよう。




2.多彩なジュエラー、アンリ・ヴェヴェール

1881年、3代目としてヴェヴェールのメゾンを継いだ兄弟、ポールとアンリ。

エコール・ポリテクニーク(École polytechnique)を卒業したポールは、経営と商業を担当し、優れた経営手腕でメゾンを率いた。

一方で、エコール・デ・ボザール(École des Beaux-Arts)を卒業したアンリは、才能ある芸術家であり、画家でもあった。

アンリは、ノワイエの別荘を囲む緑豊かな田園風景にインスピレーションを受け、多くの風景画を描いた。

少年時代から偉大な画家たちの作品を偏愛していたアンリは、17歳の時にレンブラントを購入し、また有名な画商や展示室に足繁く通うなどコレクターとしても熱心に活動していた。


そのほかアンリは、Société des amis de l'art japonaisの会員になったり、1891年にパリからサマルカンド、モスクワを経由してイスタンブールまで2ヶ月以上旅行したりするなど、日本美術や東洋文化も愛した。


またアンリは、モード・エルンスティル(Maud Ernstyl )というユニークなペンネームで、『Art et Décoration』や『Revue des Arts décoratifs』などの雑誌にジュエリーに関する記事を寄稿している。


そんなアンリは、宝飾業界を語る上で欠かせない三部作『La Bijouterie Française au XIXe siècle』を執筆するなど、自身の研究の成果を残している。





3.アール・ヌーヴォー(L'Art Nouveau)

アール・ヌーヴォー(L'Art Nouveau)は、工業化の行き過ぎと、古い様式の再現の停滞に対抗して生まれた、19世紀末から20世紀初頭にかけて装飾芸術に影響を与えた芸術運動である。

フランスでは、一時期この運動のことをモダン・スタイル(Modern Style)とも呼んでいたため、アンリ・ヴェヴェールは、作家としてのペンネームMaud Ernstylをこの名称から生み出した。

そんなアンリは、1898年の日記に「ルイ15世はもういらない」と記している。

アンリがデザインするヴェヴェールのジェエリーは、植物(la Flore)、動物(la Faune)、女性(la Femme)、すなわち「三つのF」(les 3F)から着想を得て作られたものが多く、アール・ヌーヴォーを象徴するような作品でもあった。

幸せの象徴、ツバメのペンダント。

重なり合ったシルエットがなんとも言えず美しい。

( Pendentif Hirondelles, Vever, circa 1900, En or jaune, émail et pierre de lune, Collection privée)



( Pendentif Floral, Vever, 1900, En or jaune, émail et peries, Vaessen Juwelier)


ヴェヴェールの繊細かつ力強いジェエリーは、万国博覧会のグランプリをはじめ、数々の賞を受賞した。







4.女性(La Femme)

女性の顔や立ち姿は、ヴェヴェールのインスピレーションの源であり続け、ヴェヴェールは、メダル、ブローチ、ペンダントにその横顔を描いたジュエリーを数多く製作した。

青いエナメルの翼、ルビーのハート、そしてメノウやダイヤモンドで飾られた幻想的な女性をモチーフにしたジュエリーは、1900年の万国博覧会で注目の的となった( 現在はパリの装飾美術館に所蔵、本展では展示されていなかった)。


ここに展示されるのは、半分は女性、半分は蜻蛉や向日葵などの昆虫や植物といったユニークな作品である。

( Broche-pendentif représentant une femme de profil pensive aux cheveux épars, En or rose, émail, diamants, Collection privée)


儚く、非現実的な仕上がりでありながらも、その女性の横顔は優美である。

( Broche-pendentif représentant une femme libellule, or jaune, émail et diamant - Circa 1900 - Collection privée – Photo Vever)
( Pendentif représentant une femme tournesol, or, ivoire, diamant, émail et perle - Circa 1900 -Collection A.Aardewerk Antiquair Jewelier)


ヴェヴェールのショールームから見た夏のパリの空。


こちらの思わず目を見張るほど煌びやかな作品は、アンリ・ヴェヴェールが作成した15世紀の時祷書用の金で縁取られた皮のカバーである。

( Couverture d'un livre d'heures commandée par Henri Vever, Vernier et Tourette, Vever, 1889, En or et émail, Collection privée)


そこには赤い服を着た男性と青いドレスに身を包んだ女性の中世の結婚式の場面が描かれている。

城の前では、彼らの家族や宮廷人たちが結婚式を見守っている。

神とその使徒たちは、雲の上から式を見下ろしながら、初々しい二人を祝福する。

結婚式のイメージを縁取るのおは、色鮮やかなアザミ、バラ、スズラン、ブドウ、犬、ミツバチのモチーフであり、下の方には「Ce donc que Dieu a conioinct que L'home ne séparect」という引用文がある。

筆者は特に犬やアザミ、鳩などが描かれた縁取りの部分に魅入ってしまい、じっくり時間をかけて鑑賞したのであった。



5.コラボレーション(Les Collaborations)

アンリ・ヴェヴェールは、ルネ・ラリック(René Lalique)、装飾芸術家のウジェーヌ・グラッセ(Eugène Grasset;1845-1917)、画家でデッサン家のアンリ・ヴォレ(Henri Vollet;1861-1945)、彫刻家のルネ・ロゼ(René Rozet;1858-1939)とエミール・スケイエ(Emile Scailliet;1846-1911)、エナメル職人のエティエンヌ・トゥレット(Etienne Tourette;1875 - 1924)など当時の優れた芸術家たちに囲まれながら、新しいジュエリーを生み出した。

ウジェーヌ・グラッセは、ヴェヴェールのためにガッシュで多くのデザイン画を描き、その中にはオルセー美術館や装飾美術館にも展示される有名な「幻影」のブローチが含まれる。

また1885年、ヴェヴァーの工房で見習いを始めたルネ・ラリックは、芸術家としてだけではなく友人としてもアンリと親交を深めた。

ラリックは、アンリの娘マルグリットの12歳の誕生日に青と白のエナメルのデイジーのセットを贈った。


またアンリは、ともに東洋美術の愛好家として、ジュール・シャデル(Jules Chadel;1870-1941) と共同で日本美術のコレクションを公開した。

シャデルは、そのための招待状をデザインした上に、メゾン・ヴェヴェールのために数多くのデザイン画も作成した。

参考:「版画におけるジャポニスム」『フランスと日本 ひとつの出会い 1850-1914』{BnF、国立国会図書館(2023年9月3日最終閲覧)



また19世紀末に劇的に科学技術は進歩し、アンリ・ヴェヴェールもこの流れに柔軟に適応した。

彼は、特に新素材(角、硬い石、真珠、象牙)や革新的な技法を用いて、それを自身の作品に取り入れようとすると同時に、伝統的なジュエリーデザインへの敬意も忘れることはなかった。

こうして20世紀初頭以降、その製作に卓越したアイディアと確かな手仕事が求められるようになったジュエリーは、芸術品として、人々を虜にしていった。

(魚がモチーフのデザイン画。透き通った魚の体が美しく、筆者はこの絵が一番気に入った)


以上、うっとりするようなヴェヴェールの作品を駆け足で概観した。

アンリ・ヴェヴェールは、老舗の後継という自分の地位に満足することなく、積極的に19世紀から20世紀にかけてパリで活躍したアーティストたちと交流すると同時に、知識やセンスを貪欲に吸収し、優れた作品を次々生み出していった人物であった。

本展は、そんなアンリが築いたネットワークや彼自身の知的好奇心を物語るものであり、彼が手がけた作品は、100年以上の時を超えて、今もなお圧倒的な美しさを誇っているのである。




Vever Joaillerie

住所:9 Rue de la Paix 7e étage, 75002 Paris, France



営業時間:10:00-20:00(月曜、水曜から金曜)、10:00-21:30(火曜)、土日定休

公式ホームページ:



参考:

「<アールヌーヴォー再び その2>創業から2世紀、蘇るアールヌーヴォーのジュエラー、ヴェヴェール。」『Madame FIGARO.jp』(2023年8月17日付記事)

「Dans l'intimité de Vever, bijoux et objets d'art depuis 1821」『Attitude Luxe』(2023年9月1日最終閲覧)


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