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私が物語をつづるとき

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#創作大賞2023

暴力的な悲しみに打ち勝つために

子供の頃はしょっちゅう泣きじゃくっていたのに、大人になってからとんと泣くことが少なくなった。 それでも数年に一度くらいは、胸から込み上げてくる悲しみに争うことができず、嗚咽し、とめどもなく涙を流すことがある。 10年前、母が死んだ。 様々な手続きを済ませ、夜遅くに帰宅すると祖父母が家の明かりとストーブをつけて待っていてくれた。 「ご飯食べたか」 と聞かれ、朝、ビスケットを3枚食べて以来、何も食べていないことに気づいた。 その時、食卓には白い冷やご飯が残っていた。

樺太のバターご飯

私の祖母は、樺太(サハリン)で育ったという。 祖母が3歳の時に、教師であった祖母の父が一家を連れて豊原(ユジノサハリンスク)に移ったそうだ。 その時から、終戦のわずか二日後、1945年8月17日に漁船に乗り、命からがら本土に戻ってくるまで、祖母は青春時代を樺太で過ごした。 この引き揚げの際には、魚雷で沈められた船もあったり、樺太から戻ることができなかった人もいたり、悲しく辛いことがあった聞く。 ところが、樺太で過ごした少女時代を語る祖母は、いつも楽しそうで、本土に戻っ