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元不登校が語る人生の歩み方~多様性~

元不登校が語る人生の歩み方

私は中学生の時に不登校になった。
同時に「社会からはみ出した」と思った。

多様性の社会になっていくと言われる今日この頃

しかし「多様性の社会」とは何か
改めて考え直してみた

1.必要?

まずは本当に多様性の社会とは必要なのかを考えてみる。

多様性の反対は画一性
調べると全てを一様にそろえることと出てきた。

画一性の社会を想像すると、社会としては良い物なのかもしれない。

答えをコレときめ、それ以外は邪魔だと排除する。
一見物騒に聞こえる。

しかし、邪魔者がいないということは快適に作業できる。
社会としても円滑に回っていくのかもしれない。

日本は特に画一性の社会なのだろう、
島国ということも因果関係があると思う。
古来より他国から何者かが来るということが少ない、言ってしまえば国外からの邪魔者が少なかった。国内でしか、文化的発達を遂げられなかった。
故に、日本オリジナルな画一性の文化が発達してきたのだろう。

しかし、今の日本はどうだろうか。
文明は進み、科学も進化した。
多国間の交流が従来よりも容易に行えるようになった。

この現状で多様化しない選択肢を決断するのは難しい。
鎖国でもすれば簡単だけども。

必然的に多様性の社会が必要となっていくのだ。
では多様性の社会とは何を指すのか。

2.多様性

実際の所、私も多様性の意味を真に理解できていない。
だからこそ真剣に今回考えてみた。

多分社会的に言われている多様性とは
「認めること」
間違っていないと思う。

しかし、これだけでは不十分
認めるだけなら簡単だからだ。

あいつはダメだと見下したり、自分より能力が低い人を低いと断定することも認めることだ。故に「認めること」は不十分。テストで言えば△が貰えるかどうかぐらい。

私の多様性の答えは
「共に歩むこと」

death strandingというゲームがある。
そこでは人との繋がりを表す象徴として、手錠が使われている。

なぜ手錠なのか?

手錠は人を縛り付ける存在だ、
負の象徴と言った方が似合っている。
手錠で縛られている状態ではさまざまな行動の邪魔となる。

誰かとの繋がりも時に邪魔になる。1人でいる方が気が楽だ。

しかし、人間は1人で生きることができない。
病気になったら医者が必要
食物は農家が作る。
食べ物だって運ぶには配達人が運ぶ。
1人で全てをこなすことは不可能に近い。
必然的に繋がりが重要になる。

そこで手錠だ。
手錠をつけることは不可を背負うことにもなる。
そのため、何かしようとするには互いに協力しなければならない。

相手の腕を切り落とすなんて発想はしたくない。

人間として未来を創るなら、こういった繋がりが必要になるのではないだろうか。

「他を認め、共に歩むこと」

これが多様性の答えだと私は思う。

4.最後に

多様性は絶対ではない。
多様性を強制したら、真の多様性にはたどり着けないだろう。

私たちは今一度、社会のあり方について考える必要があるのではないだろうか。


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