人の目、自分の目

記念すべき一本目。何にしようか悩んだ末、私が不登校の時に辛かった「人の目」についてにした。

1.不登校だった頃

私が不登校だった頃、人の目がとにかく怖かった。どこに行くにしても不登校である自分に恥ずかしさを感じ、他人の目に恐怖を感じた。
「なぜこの時間に子供がいるのか…」
「学校に行ってないのか…」とか
誰かが自分を責めているような気がしてならなかった。

さらには…
「学校に行ってない自分なんて…」
「俺は人間として落ちこぼれだ…」
とか思って、さらにネガティブになったりした。

多分こう思っている人は多いんじゃないかな?
とにかく誰がどう思っているか気になって仕方なかった。

けどそんな気持ちは次第になくなっていった。

2.人間の本質

理由は単純!疲れたから。こう言っちゃうとアレだけど、多分実際そんな感じだったと思う。
だけど疲れた理由も実際ある。

そもそも僕は誰とでも仲良くしたかった、わかり合えると思っていた。けど残念なことにそれは不可能だと知ってしまったからだ。
本当に残念だった、がっかりした。受け入れるのも辛かった。

けど当たり前のことでもあった。自分が住む地域には、日本には、世界には一体何人もの人がいるのだろうか。

数え切れないほどの人がいれば、数え切れないほどの「生き方・考え方」があっても何もおかしくない。わかり合えない人がいても無理はないはずだ。

全ての人と仲良くなることは不可能に近いだろう。

ならどうするか。

3.人付き合いのあり方 

答えは簡単、わかり合えない人とは関係を持たないことだ。

まぁそれが出来れば世の中めちゃくちゃ生きやすいんだけどね。

ただあなたの周りにも、家族、親戚、友達、先生、他にもたくさんいるだろう。それだけいれば、苦手な人がいてもおかしくないはず。

だから、自分と考えが合わない人とは無理に付き合わない事が大切だと思う。自分の性格や趣味に合った人を探せば良い、無理しても良いことはなだろう。

相手に過度な期待をしてしまうから、落ち込んでしまうこともある。
ある程度、割り切った関係は必要だと私は思っている。
さもないと自分自身がつぶれてしまう。肉体的にも、精神的にも。

ただ苦手な人を判断するにも、すぐにそれを決めてはいけないと思っている。苦手な理由が、「知らないから」という場合もある。
人が恐怖を覚える理由として、知らない・わからないからという事がある。
理解できないからこそ、相手を嫌ってしまうのだ。

だからこそ、相手を嫌うにも嫌うための理由が必要となる。
相手のことを理解してみようと歩み寄ってみれば、案外その人の素敵な部分も見えてくるかも。
もしかしたら、ただ自分が一方的に嫌っていただけなのかもしれない。

5.Your story

あなたは何が好きですか?
あなたはどんな夢を持っていますか?
あなたはどんな生き方をしたいですか?

もしあなたの生き方を否定するような人が出てきても、気にしちゃいけない。

どんな生き方をしようとかまわない。

ただし…

その生き方が、誰かを傷つけるようなことがあってはいけない
あなたと同じように、相手にも自分なりの生き方がある。

人の数だけ生き方も存在する。自分の「好き」が、必ずしも相手の「好き」と同じではない。
相手の生き方を尊重しないのなら、その相手もあなたの生き方を尊重しないだろう。お互いに認め合ってこそ、自分の人生を歩めるのではないだろうか。

多様性の社会とはこういうことを指すのだろう。

あなたの目で見た物をあなたなりに解釈し、あなたの好きなように生きれば良い。

さぁどんな人生を歩みますか?


読んでくだりありがとうございます。
よければ、スキとフォロー、Twitterのフォローをお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?