差別をしないでください。 は?
コロナの影響もあって最近よく聞く
「差別をしないでください」
私はこの言葉が嫌いだ
差別をしないでくださいと言わないと差別をしてしまう人間が居ることに心底嫌になる
まぁそんな話は置いておいて
じゃあ差別って何?それに平等ってなに?
今回はコレについて書いてみた
差別の代表的な例を出してみよう
・人種差別
・性差別
・障害者差別
・etc..
あげだしたらきりが無い。
じゃあなんで差別が起きるのか?
簡単だ、自分と違うからだ。
自分と違うから敵とみなす、そして排除する。
コロナウイルスで医療従事者やコロナ患者を差別する人を見ればわかる。
自分がコロナにかかりたくないから、徹底的に敵を排除する。
医療従事者が頑張ってくれてるとか関係ない、自分の問題だ。
そして自分と言っているが、自分(社会)という意味が隠れている。
テレビでも世界的にコロナが大流行している事が伝え、感染の拡大を防ぐためにstay homeを何度も教えられる。
社会的にコロナは敵となった今、敵を排除する理由を得た人々は攻撃を開始する。
外出している人が居れば批判し、コロナを患った人を村八分にする。
攻撃をする彼らに悪意などない、もはや善意で動いている。
そしてこれは一言で言えば同調圧力。
みんなしているから自分もして良いと思える、逆に言えば、みんなしているから自分もしなきゃという一種の脅迫的な部分もある。
差別は悪意に満ちた行為ではない、故に差別は容易に消えるものではない。
じゃあ差別がなくなった平和な世界ってどんな世界だろうか?
どんな世界が平和なのだろうか?
どんな世界が幸せだろう?
私は人類皆不平等に扱うことが、平和な世界だと思っている。(扱うって表現は適切じゃないかも知れないけど…)
これだけだとそれこそ差別をしている人みたいな言葉の羅列だ。
じゃあ人類を皆平等に扱ってみよう。
例えば学校のクラス全員に同じように数学を教えたとしよう。
全員に同じように教えているのだから、平等だ。
平等に教えたのだから、テストをしたら全員が同じ点数にならなければおかしいことになる。
ここで誰もが気がつくはずだ、
絶対テストの点数が同じになることはあり得ないって。
私たちは個々によって能力が違う。
勉強する能力があれば、運動する能力や料理を作る能力、遊ぶ能力。
人によって得手不得手があって当たり前なのだ。
全人類の能力が均一になることなどあり得ない。人によって秀でる部分も違う、劣る部分も違う。
それなのに平等に扱うということは、出来る人と出来ない人の選別に過ぎない。さらには、出来ない人に対して出来るようになれと、出来る人に合わせろと、無理を強いることになる。
つまり、出来ない人に対して"意識的"に差を作る行為ということになる。
残念ながらどんなに頑張っても埋まらない差は存在する。
しかし、それを意識的に作るということは人の粗を探しているも同然。
そしてそれが差別やイジメへと発展してしまうのだ。
だから私は「人類皆平等に扱うこと」は間違いだと思う。
なので私は「人類皆不平等に扱うこと」が平和だと思っている。
何度も言うが埋まらない差は存在する。
しかし欠点がない人間などいるはずがない、つまり差があることが当たり前なのだ。
差があることが当たり前なら、欠点があるのは悪いことではない。
先程の学校の授業の話に戻すと、
生徒によって理解能力やスピード、集中力が違う。
ならば生徒1人1人に合わせた教え方をした方が、その子にとって効率よく勉強できるのではないだろうか。
もちろん多人数を一斉に教えなければならない学校という組織の中では、これが難しいということはわかっている。
だがこれが出来るようならば、子供の全体的な学習能力は高くなるのではないだろうか。
平和な世界を「人類皆不平等に扱うこと」と書いたが、実際は個々人に合わせて人を扱うべきだということ。
あくまでこれは僕個人の思う平和な世界だ。
ただ意識的に差を作るのではなく、差があることを認めて歩んでいくことが大切なんじゃないだろうか?
最近アメリカで、黒人達の暴動が起きたようだ。
日本では↑のような大規模な暴動も起きないし、彼らほどの差別もないかも知れない。
そんな日本にしか住んだことのない私が、差別について語るのはおこがましいことだと思う。
世界から理不尽な差別がなくなることを切に願う。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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あとがき
これTwitter載せるとタイトル未設定になるの変えられないのかな?
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