雑記:言葉の力で曖昧さに向き合う〜新幹線の中で考えたこと

前々回の記事で、言語化の過程を「海を渡る」ことに喩えた。もうひとつ言うなれば、ナイフだな、と思う。曖昧さをざくざくと切り裂く、鋭いナイフ。

先述記事においてすぐ海に飛び込むと表現した私の推し、どうやら"等分"が得意らしい、と最近知る。ファン向けの動画でケーキやピザを率先して周りのメンバーに切り分けてあげていた彼、なるほどたしかに彼らしいなと思った。
良いは良い、悪いは悪い、やるならちゃんとやる。「信念を声に出して曖昧な現実を切り裂く」彼の強みに、その姿が重なって見えたからかもしれない。

言葉はナイフだから、悪意を持って他人に向けてはならない。しかし優しさと賢さを持って使えば、曖昧な現実・誰もが見えない未来を上手に切り分けて、他の誰かが消化しやすいカケラとして与えることができる、強力な創造性のツールになるんじゃないだろうか。
…そんなことを、私は今推しの姿をきっかけに学ぼうとしている。
↓以下推しブログでもなんでもないお仕事論↓


私は企業に属する研究者なんだけど、最近実務だけじゃなく管理職のような業務も求められるようになってきた。

難しい。
研究の成果を唯一無二の商品にして売り出すことに、決まった手順がない。今も未来も明確に見えない曖昧さに向き合っていくこと自体がそもそも難易度MAXなのに、その難しさにみんなで立ち向かおうというのがさらに難しい。
ていうか本質的に、無理である。

自組織には大きく分けて、二つの役割がある。
新たな商品のタネとなる研究を行う人/それを商品として形にする人。
研究者からすれば「商品化できるよう約束させられる研究活動」がプレッシャーである。商品化を担う立場からすれば「不確実な研究の成果をただ、待つ」というフェーズをどう扱っていいかわからない。

両者のミッションと特性を考えれば、どちらも、至極真っ当な悩みである。

要は、現実の切り分け方が異なるのだ。



研究者は、商品化に向けてユーザーのニーズやライバル社の情報を得ながら、「なぜ?どのように?なにを?」と思案してやるべきことを決める。研究段階では「目的/仮説/実験と検証/考察+研究の限界」という自然科学のフォーマットが必要となる。これらは0→1の価値を創り、他者を圧倒し高みを目指すための「垂直的思考」として個人の頭の中を繰り返し巡り、そこに要する時間の流れの要素は基本、度外視される。


一方で商品化の担当者は、あるべき姿から逆算してタスクを書き出し、それぞれのタスクに期日を当て込んでいかなくてはならない。未知の未来は、あたかも現実っぽく「水平的に」タイムラインで切り分けられて管理される。商品のスペックを決める、というタスクはあっても、「誰にも考えつかない素晴らしいアイデアを出す」、よりよいものを目指す研究者の0→1な試行錯誤はタスク化できず、重要なその過程は実質存在しないことになってしまう。

この垂直と水平、価値を作る"タテ"と時間を約束する"ヨコ"の思考。それぞれ同じ現実を両者の思考で同時に切り分けると考えるとどうだろう。片方が一生懸命切り分けようと手を添えている場所に、別の人がナイフを入れる…と言う事故が各所で起きるんじゃないだろうか。実際にこういったちょっとしたぶつかり合いみたいなものは、やはり起きる。研究者側は中途半端を嫌がって頑なになり、商品化側は手戻りを感じて焦り、深い思考をしづらくなる。


みんないい人で優しいから、極力仲間を傷つけたくないと思う。でもそれで役割分担とかいう言葉で逃げて、お互いの守備範囲でしか現実を切り分けられないのだとしたら、あまりに本末転倒がすぎる。ケーキの上のイチゴだけ切り刻んだってケーキの美味しさはわからないし、ピザの具のない場所だけ切り分けたってピザの美味しさはわからないのに。
同じ現実を見ずにそれでも仲良しだ懇親だって飲む酒は果たして美味いのだろうか…と私は結構本気で思っている。

だから私はザクザク行く。
縦にも横にも斜めにも。
曖昧な現実の、1番美味しい場所をみんなで分けられるように。真ん中から、ざくっと。
推しと同じく、言うからには自分の行動が誰よりも伴わないといけない。

ただ気をつけないといけないのが、誰かの置いた手に、故意ではないとしても傷をつけてしまえば取り返せないということ。それをきっかけに成長できるという人もいるけど、恐れで手を引っ込める癖が出るような人もいるから、ナイフのの取り扱いは慎重であるに越したことはない。しかしこの点については反省すべきことが、多々&日々、ある。
私自身も一生懸命資料作って、「ここはそう言うことじゃないんだよなあ」とか「仕上げるのが遅い」とか言われて結構ムッとするんだけど、それって相手の思考が現実を切り分ける上で私の置く手の位置が悪かっただけ、自分が刺されたわけじゃない、と受け止めないといけないね。



言葉が曖昧な現実を切り裂き、他者に確かな現実を分け与えるための強力なツールだとしたら、言語化能力は手先の器用さに近い意味を持つだろう。上手に本質を切り出すための技能。
善良な社会人として人を引っ張るリーダーになれる自信は今のところないけれど、強化できることがあるとしたら、ここかな。

ナイフなんていうわざわざ謎の比喩を使って、推しの姿を重ねて良いイメージを作ろうとしているのは、瞬間的かつ当たり前のように自らの行動に落とし込むため。

P.S.なんかこの歌思い出した

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