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飲みすぎた結果

昨日の記憶が無い。

画像をアップした記憶も無い。

更に注文していた商品が届いた事も覚えていなかったが、父が受け取っており、その後自分が開封してストックしてある場所にちゃんと片付けていた。

睡眠導入剤と睡眠薬と安定剤を写真の量全部飲んだからだろうな。

内訳

・マイスリー(睡眠導入剤)10mg×50錠(通常上限10mg)
・ルネスタ(睡眠剤)2mg×10錠
・ランドセン(安定剤・1日3錠処方)0.5mg×6錠

今も頭がボーッとしている。
余りにも辛くて、父と顔を合わせたくなくて、父が買い物から帰ってくるまでに飲んでそのまま眠った。

いつ起きたか、何をしたのか全く覚えていない。

ルネスタは、実は随分前に貰っていたもので、残っていたのを見つけて飲んだ。
今はマイスリーだけで充分眠れるから。

いろんな事が辛い

食欲は無い、何もやる気が無い、父に対しての拒否反応が酷かった。

父はうつ病とはどんなものか、どう対応すればいいかなんて知らない。
私がうつ病になって酷かった頃を知っているのは今は亡き母だけだから。

仕事をしている時は酷かった。
母が毎日晩御飯を作ってくれているのに、仕事から帰ると食欲は無く、疲れ切ってしまって布団も敷けない狭い自室で朝まで寝ていた。
そんな時は必ず毛布が掛けられていた。
いつも私を心配して、行動してくれていたのは母だった。
そんな母はもう居ない。

理解してくれる人はリアルにはもう居ない。身近にも居ない。

もう生きている意味なんて無いと思いながら、クラファンをやってみたり、アルバイトの応募をしてみたりと、自分なりに頑張っていた時に先日の父とのやりとりがあり、唯一の家族にそういう態度を取られてはもう信じる事すら出来ない。

家族だからって何もかもわかるってもんじゃない。

とりあえず今は

何にも考えられない。視界もぼんやりしたまま。
冷蔵庫に入れたままのサラダ用チキンが気になって、買ってきていたレタスのサラダにチキンを乗せて塩を掛けて食べた。味は良くわからなかった。

夕方に通っている心療科へ電話して、一ヶ月分の薬を送って貰う事になった。
病院の向かいに薬局があり、数分後には薬局から電話がかかってきて、薬代は自立支援を使っているから何をどれだけ出されても400円なんだけれども、送料がレターパックプラスで520円(だっけ?)を後日来られた時に請求させていただきます、との事。
送料の方が高い…。

よりそいネット

24時間電話で話を聞いてくれるというサービス。
フリーダイヤルだからか、毎日掛けても繋がらない。呼び出し音が鳴っても出て貰えず、結局アナウンスが流れて切れる。
試験的に初めての方の電話番号を判別して優先的に繋がる仕組みを試験中、とアナウンスされているが、私は最初から一度も繋がった事が無い。
それだけ初めて電話を掛ける人が居るんだろう。

そんな時に縋る思いで電話をしたのに繋がらなかった。
虚しいアナウンスに段々冷静になってきて、思い出しては電話を掛けてみるが、どんな時間でも繋がらないから諦めた。

他のサービスも日中やっているけれど、それすら繋がらなかった。

多分、皆就職・就学して二週間程、不安一杯な人が大勢居るのだろう。
更にまだまだ続くコロナに対しての不安、今までの外出自粛のストレス。
家にずっと居るという事がどれだけのストレスか…。

最後に救われた

仕方無いよね、と思いつつ、心の中ではもう永遠に寝てもいいな、と思っていた。まだ薬の残ったバカになった頭で最後の頼みの綱である幼馴染にLINEで「たすけて」と真夜中に送ってしまった。
そうしたら直ぐに電話がかかってきた。

いろんな話をしたけれども、私の父はADHDだと言う話をしたら、
「俺の父親もそうやし俺もそうやから、尚のお父さんの事聞くと耳が痛いなぁ」
と。こんな身近にADHDの人が居るなんて。確かに辛い。でも彼は頑張っている。今は嫁も娘も居るし、昔とは考えが変わったようだった。

やはり、自分に家族が居ると言う事は、一家の大黒柱として自覚しているんだな、と思うような会話だった。

そして、最後に言われたのは

「尚一人ぐらいこっちに来たって何とでもなるよ。いつでも来てくれていいから。それぐらいは大丈夫やで。それは前から思ってたから。」

「親父さんまでは無理やけど…」と。連れて行っては意味が無い。
今はコロナでまん延防止対策県にお互い住んでいるから、往来は無理だけれども、それとは関係無く考えてくれていた事に本当に救われた。
滅多に電話もLINEすらしない、たまに彼の母親に私が電話して話し相手をしている程度で。
元々母親同士が友達だったと言うだけで、住んでいる場所も同じ区内では無かったし。

私が小学生の頃に彼の家族が関東に引っ越してからは二度ぐらい行った程度。それでも行った時には子供の頃の思い出や、おばさんも私を娘のように可愛がってくれていた。
私はもう、彼らからは忘れられた存在だと思っていた。
そう言ってくれただけで、忘れられていなかったと言う事だけで嬉しかったし、家族もあるのに私を養うぐらい平気、と言われてしまっては…ちょっと複雑だったけれど、正直有り難かった。

どうにもならなくなったら逃げ場がある。それだけで少し救われた。
今までずっと後ろを見れば崖っぷちだと思っていたのが、その先に橋があり、新しい場所が待ってくれていると思うと、もう少し頑張ってみようかと思えた。

こんな奴にでも小銭を投げつけていただければ幸いです。 頂いたお金は全て愛猫のご飯代、トイレの砂代になります。何卒宜しくお願い致します。