生きのびるための事務を読んだ

思考の言語化。実験、練習。

three good things から始まって、毎日日記を書くリズムが板に着いてきた今日この頃。

10年後の現実、を書く。1回書いたら(つまり10年後に一度行ったなら)、いま一度、今の現実にもどってきて、10年後の現実を実行する。
10年後の現実へ一度行っているので、戻ってきてもう一度そこをなぞらえる作業になるため、途方もない作業にはならない。

まだ言語化がうまくできないけど、事務としては、「書くこと」が事務作業となるわけなので、今はこれでいいということもわかった。

本を書いたり、自分の文章を世の中に出したい、とか、文体文章へのこだわりないけど、毎日日記を書いていることが楽しい。

人に、「人格がのってる、バイブスをかんじる」と言ってもらえたことも、嬉しかった。

自分はこだわりの少ないほうの人間かもしれないけど、「こだわりを少なくしていたい」というこだわりがある。

この書籍のジムくんが言っている言葉と、自分の生き方がシンクロするところがとてもあって、自分に対する理解を一歩、楽しい方向に進めることできたと思う。望む方向。これだー!という感覚。


事務を駆使して無駄な心配を除去する。これうまくいくための唯一の方法です

生きのびるための事務

先まわりして、物事がうまくいかない方向に流れないようにあらかじめ手配しておくこと。これは、「うまくいかない」が実際に起きることを阻止しているため、見過ごされがち。自分の事務がうまくいっていること、(もしくはそうでないこと)、を知っていることはとても重要なんだな。


事務とは抽象的なイメージを数字とか文字に置き換えて、具体的な値や計画として見える形にする技術です

生きのびるための事務

物事を具体的に考えて一個一個やってく。まさに日々の営みってそういうことだと思ってたから。自分の中にもジムくんがいて、ちゃんと役割を果たしてくれていることに気がつきもした。



事務は冒険のための道具である。

この辺りは、自分が歩みたい人生に事務が必要不可欠だということへの改めての再認識になったと思う。



事務はわからないものを明らかにするものではなく、わからなかったとしても、それを淡々と続けていくためにある。

これはネガティブケイパビリティにもつながる部分もありそう。「まあ、一旦、それはそれとして」、それでも前進していくメンタルスキル。何があっても前進していく・させていく。


あと、まだうまく言語化できてないけど、とりあえず良かったのは、自分ってこれまで自分にアーティスティックな部分が欠如しているように思ったし、何かをうまく進めることはできるけど、何かを生み出すことはできない人間です、という自覚をしていた。

けどこの本を読んでおもしろかったのは、むしろ、生み出した後のものに対して、編集を加えたりカタチあるものにしていくこだわりがないだけで、実は日記を書いたり、独りよがりな表現だし認識なんだけど、場を整えよくしていくるための準備をして、そういう場を現実発生させたり、そういうことは、やってきたし、ビジュアルで見えるし、どうしたらいいのかわかるし、目に見えないけど「創造」をちゃんとできていたんだ、と気づくきっかけにもなった。

読書合宿は人生でずっとやっていきたい。

アイディアなんて山ほどあって、それが内側に潜んでる限り、それはビッグバン以前と同じようなもので、万物に数え上げられる前のもの。

創造というのは、カタチあるものに転換することだけど、それは必ずしも、物的オブジェクトである必要はなく、抽象的な概念から具体的概念への転換でもいいということは、気づくと当たり前だけど、もちろんそうなわけで。

なんとなく10年後の現実を24時間の枠で埋めてけそうな気がする。まだもうちょっとかも。

まとまってないし、伝えるための配慮がある文章にはなってないけど、ポール・ヴァレリーのカイエ(Cahiers)に通じるとこがあるとかんじる。



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