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2020年を振り返って

気づけば、もうまもなく今年が終わろうとしている。
今年はとにかくコロナに振り回された1年だったけれど、それでもなんとか生きて来られた。ありがたいことに、また1年ちゃんと仕事をさせていただけたというわけだ。

ってことで、今年の振り返りなどしてみようかなと思います。

#東京へ行った1月

まだコロナの影響がなかった1月は、シナリオライティングを学びに東京の講習会へ足を運んだ。当時はまだシナリオの仕事は1つもなくて、でもずっとやってみたかったから諦めきれず、なんでもいいから糸口になれば、という気持ちで参加を決めたのだ。

TOKYOおひとりさま徒然記

なーんてさらりと書いてはみたものの、実は1人で東京へ行くのは初めての経験だった。方向音痴でとぼけたところのあるわたしは、東京に対してまるで未知のダンジョンみたいなイメージを持っていたし、なんなら足を踏み入れたが最後、2度と戻ってこれないんじゃないか……とわりと本気で思っていた。

のだけれど、今もこうして無事に仙台で生きているので、ちゃんと東京からは帰ってこれました。いやあ、良かった良かった。

今年の初めに立てた「今年の目標」は、何でもいいから1つ、「ひとり○○」を達成するというものだった。1月の時点で「ひとり東京」と「ひとり長距離バス」の2つを成し遂げたので無事目標は達成。すごい。

#学校が休校になった2月

新型コロナウイルスについての話題がじわじわと盛り上がり始め、「なんだか怖いねぇ」なんて言っていた2月のことだ。ついに“あの知らせ”がわたしの元に届いた。

――緊急事態宣言。そして休校。

今でも覚えているが、あれはとある取材が終わった直後のこと。なにげなくスマホを見ると、知人から「緊急事態宣言だよ!」というLINEが届いていたのだ。「は??どういうこと??」と事態を飲み込めないわたし。そして徐々に明らかになる真実。えっ、つまりこういうこと?子ども達、学校行かないってよ――。

我が家には小学生が2人いる。2人が毎日学校へ、そして放課後は学童へ行ってもらうことでなんとかわたしは仕事ができている。世の働くお母さんは大体がそんなもんだ。にもかかわらず、子どもが学校へ行かないだと……?

目の前が真っ暗になった。一応、学童へ行かせる選択肢はあったはずだけれど、状況が状況なだけになるべく自宅待機が望ましいのは明白だった。どうしても外へ行かなければできない仕事でもない。わたしが出た結論はこうだった。「子ども達とひきこもろう」

当時、わたしはライターのアルバイトとフリーライターの仕事を並行していた。バイト先にはリモート勤務の許可をもらい、フリーの仕事は今まで通り自宅でという日々の始まりだ。

#アルバイトを辞めた3月

フリーの仕事をしつつ、バイトもしつつの生活は、始めの頃は理想的だと感じていた。安定した給与を得つつ、好きな取材仕事も請け負う。完璧じゃない?と。

だがしかし、違う仕事を両立するのってやっぱり大変。それにバイト先の仕事は正直つまらなかったので、リモート勤務に入るずいぶん前から辞めたい気持ちが大きかった。

3月というタイミングで辞めることにしたのは、契約更新時期だったのとあとは単純に勢いだ。時給はそこそこ良かったので収入面の不安はあったけれど、理性より感情が勝った。

#仕事がガクンと減った4月

学校は休校のまま、全国的にもコロナによる影響が深刻化していた。対面取材の仕事がすべてストップしただけでなく、決まっていたメディアの仕事も飛んだりして、「バイト辞めたの、早まったか……?」と密かに思ったりしていた。

とはいえ泣き言を言っても仕方ない。新しい仕事を獲得すべく、久しぶりにいろいろなメディアに営業したり、既存のクライアントに仕事を増やしてもらったりと頑張っていた。

残念ながらメディア系ではあまり良いご縁に恵まれなかったけれど、ここで驚くべき転機が訪れる。続けざまにシナリオライティングの仕事が決まったのだ。

#シナリオのお仕事がスタートした5月

なんということでしょう。以前あれだけ追い求めても1件も獲得できなかったシナリオの案件が、ぽんぽんといくつか決まったのだ。

ここにきて今年の初めに行ったシナリオの講習会、あれがめちゃめちゃ生きた。いやーほんと行ってよかった。

ひと月の間に東京へ2度行かねばならず、家族にもかなりガチめにお願いしてもぎ取った東京行き。往復の交通費もなかなかだったが、あれは英断だった。

わたしがシナリオの仕事をしたいって話、知っている人は知っているのだが、もう何年越しの話よってくらい長年言い続けてきた背景がある。なので、仕事が決まってしばらくはずっとふわふわしていた。ここからがスタートだぞ!っていう気持ちはもちろんありつつも、やっぱり嬉しかったもんね。

すごっ! と言われて、ふと。

#学校の再開と取材の再開

6月から、休校になっていた学校が再開。実に3ヶ月間もの期間、子ども達とべったりで過ごしたわけだ。こんなに密に過ごしたのは、2人が保育園に入る前の時期以来だったと思う。

このあたりから、対面取材もじわじわ戻ってきた。そんなこんなで以前からやっている取材・インタビュー系の仕事と、新しく始まったシナリオ系の仕事を並行してやり続け、今に至る。

#2021年はどうする?

プライベートでは、地区の子ども会の会長的なポストを務めることになった。来年もコロナの影響が少なからずあるだろうから、いつもよりは仕事量が少ないことを期待しているが、そこそこ忙しくなるだろうなあ……。

仕事では、今まで同様に取材・インタビュー系のライティングとシナリオライティングと並行してやっていきたいなという思いが強い。

つまりライターとしてまた1年、着実に生き残っていきたいと。じゃあそのためにどうしたらいいのかな?ってことを、最近すごく考える。

来年の3月で開業してからちょうど4年、5年目に入る。これまで積極的に営業することもなく、なんとなくやってきたにもかかわらず、なぜか仕事が大きく途切れることはなかった。とにかくすごくラッキーだった。これに尽きると思う。

この先もラッキーが続いてくれれば御の字、と思いつつ、それだけじゃあ厳しいだろうなって危機感も持っていて。そのために何をすべきか、何ができるのか。年末年始を使ってちょっとゆっくり考えてみようかなと思っている。

とりあえず、年始はまた少しだけ営業活動に精を出そうかな。営業ってとても苦手なんだけど、やっぱり地方で働くならつながりが大事なんだろうなって思うから。

売り込むのはどうにも苦手なので、まずはいろいろな人にわたしを知ってもらって、そこからご縁がつながっていけばいいなあと、ふわっと考えている。


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