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自分は景色の一部。なら、美しくありたいじゃない?『機嫌のデザイン』感想(20/100日)

スーツをかっこよく着こなす男の人が好きだった。10代の頃から。

中学生、いや高校生かな? 少なくとも、高校生の頃には確実にスーツ好きを自称していた。「大人」で、「仕事ができ」て、「スマート」で。わたしにとってスーツは、ありとあらゆる「好き」をぎゅうぎゅうに詰め込んだ、運動会の日のお弁当みたいなものだった。(なお、最近はお昼前に解散する運動会も多いようだけれど)

そんなわたしも気づけば、いい大人と呼ばれる年齢になってしまった。すでにスーツは「大人」の代名詞ではない。時には自分だって着るし、自分よりもずっと年下の人だってスーツを着ている。そういう人を見ると逆に、「初々しいな」なんて、ほっこりした気持ちになったりして。

けれどやっぱり、今でもスーツをかっこよく着こなす男の人は好きだ。髪をびしっと整えて、体型に合った品の良いスーツを、しっかりと自分のものとして着こなしている人。靴や鞄にまで手を抜かず、小物にもきらりとセンスが光る。おまけにイケメンなら、言うことなし。

で、定期的にお付き合いのあるクライアントに、まさにズバリそういう男性がいる。さすがに惚れたりはしないけれど、彼と並んで仕事の話をしていると、わたしはいつも、少しだけ誇らしく感じるのだ。

「今、わたし、周りからめちゃくちゃ仕事デキる風に見えてるんじゃない?」と。

・・・

あーそっか。そういうことね。とすごく納得した。
秋田道夫さんの著書『機嫌のデザイン』を読みながら。

服装は出会った相手へのプレゼント。
気に入ったものを買うには
手間を惜しまない

おしゃれな人と会うと「自分もおしゃれな人に感じる」し、「おしゃれな人とお話をしている自分が誇らしく思える」作用があるからではないかと思っています。

ほら見て。ドンピシャ。
わたしの感想、ドンピシャです。

服買おう。
速攻でそう思ったのは、言うまでもない。

 

本書ではいかに「日々、機嫌よく暮らしていくか」を、プロダクトデザイナーである秋田さんならではの「デザイン」と絡めながら紹介されている。

デザイナーならではの考え方なのか、随所に「自分の機嫌」と「周囲からの見え方」を組み合わせているのが印象的だった。

たとえば第1章「機嫌をデザインする」のいちばん初めは、こうだ。

機嫌をよく保つには、まわりに期待をしない。
景色としての自分を美しく保つ。

これを読んだ瞬間、頭をガーン! とぶん殴られたみたいだった。
景色としての自分?
なにそれ、考えたこともなかった。

前半は、まあわかる。まわりに期待をすると、それだけ傷ついたり苦しんだりすることが増える。結果的に、「なんでよ!」とぷんぷんすることも増える。

しかし「景色としての自分」とな?
えっ、じゃあもしかして、わたしが不機嫌になることで、景色を損なっていたんじゃないの?

機嫌って、自分の感情と紐づいているものだから、自分の内側からどうこうしなきゃいけないものだって思ってた。でも『機嫌のデザイン』を読んでいると、そうじゃないんじゃない? って気がしてくる。

もっと外側からの視点を意識する。「他人から見える自分」をデザインする。それはたとえば「おしゃれな自分」だったり、「機嫌の良い自分」だったり。そうすることで周囲との関係が良くなり、結果的に自分の機嫌も良くなる。

うん、これはすごく、おもしろい。自分の機嫌を、自分でコントロールする。まさに「機嫌のデザイン」だ。

ちなみに本書には、「負の感情は我慢せず、自ら離れる」ことの大切さも書かれている。単に我慢して、機嫌よく見せようとしなくてもいいんだよ、ということですね。ますます実践したくなる。

今日からさっそく、周りからの「見え方」、周りへの「見え方」について意識してみよう。
わたしがわたしをデザインする。機嫌も、イメージも、人生も。デザインセンスがなくたって、きっとできるはずだから。



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