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キミを愛でずにはいられないのだ

春は色とりどりに咲く花たちで溢れかえる季節。なかでも桜に対しては感激はひとしお。また咲いてくれたんだねぇと仰々しく語りかけてしまうおばあちゃんのようなわたしがいる。

咲く前の一見何の動きも見えない幹に想いを馳せ

寒さもゆるみ日に日に芽吹かせていく枝をながめ

ポツポツ咲いてくる桜の姿に口をほころばせ

ようやく春の本格的な訪れとともに満開に華やぐ桜の見事な咲きっぷり。その姿に今年もホントにありがとうね、という気分になるのだ。

桜からしたら、環境が整ってきたるべき時期がきたから咲いてるだけなのかもしれない。

どの花もじっと土の中や木の幹のなかで、ほとばしる生命力をじっと忍ばせながら育んでる。それでも桜は「ザ植物オブ植物」の象徴みたいなもので、桜の開花には「御喜び申し上げます」と言いたくなる。

その姿を愛でる気持ちは、正座で見上げるようなキモチなのです。わたしにとって桜は、平和と秩序と安定の象徴みたいな意味合いすらある。

このなんとも言えず、今まさに咲いてる姿に賞賛を送りたくなるキモチって、数日もすればはらはらと散っていく姿を知っているからだと思う。

桜も「わたしを眺めるなら今だよ」と。
わたしも「桜を眺めるなら今だよ」と。

そんな桜との掛け合いをしてる人が世の中にたくさんいると想像したら…なんだかおかしいですね。

でも、こうした一瞬の美しさを逃したくなくて、人はついつい桜に見入ってしまうのではないかな。

日本人の感覚からすると、桜が咲く前も満開時も散り際も。すべてが込み込みでセットだからこその美しさを、ちゃんと遺伝子レベルで知ってるんだと思う。

人の人生の感覚から眺めると、花は咲いてるときだけ絶頂期だよね、と思ってしまいがちだけど。初々しい赤ちゃんのころ、未熟で青々しいころ、円熟味のある年齢にだって、それ相応の相応しい在り方なり、美しさが備わってる。

桜の姿に美しさを見出せる人は、時の流れとともに変化する諸々をきちんと受け取れる人なのだとも思う。

もし、移り行く物事に、心がどうしても抗いたくなったら。わたしは桜の姿を思い出すことにしている。それが自然の「理」なんだよって、いつでも彼らは教えてくれるから。

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桜のトンネル。

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菜の花もかわいらしい。

いつもはみなさんのフォトギャラリーを使わせていただいてますが、本日載せている写真はすべてわたしが今朝撮った風景です。

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桜並木の下では赤いランドセルの女の子がお母さんに写真をとってもらってました。お母さんが自分のほっぺをつんつんしながら「スマイル♡」の仕草。その姿にニッコリする女の子の笑顔。かわいかったな。


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