【実話】#1 学校に行けなくなった娘との奮闘記


今日からお届けする記事は
私の実話です。


これから書いていく話は
正直、とてもデリケートな話題でありますので

読まれる方の解釈によって
様々な受け止め方があることも承知で
勇気を出して記していきます。


それは、ある日突然始まりました。

今から5年前の冬。
年が明けて少したった寒い日の朝

いつものように朝起きて
家族が朝ごはんを食べて身支度をして
子どもたちが学校に行く時間になった頃


小学校2年生だった娘が

「学校に行きたくない・・・」と

小さな声で呟きました。


昨日まで
誰よりも早く朝起きて
チャキチャキと自分で身支度をして

「ママー、髪の毛やってー!」

と、くしとゴムをを持って私の膝もとに
背を向けてチョコンと座ってスタンバイ。

髪を結ってあげると
「いっでぎまーす!」

と、それはそれは大きな声で
ランドセルを背負って登校班の集合場所へ
兄よりも先に駆け出していく

そんな元気いっぱいの娘でした。


その姿を感じさせないくらい
その日の娘は、元気がありませんでした。


「どうしたの?」と尋ねると


「・・・・」


無言で首を横に振り

「頭、痛い・・・」

そんなやりとりだったと記憶しています。


元気もなかったし
いつもと明らかに違う感じなのは
様子からも見てわかったので・・・

学校に電話して欠席にしました。


実際、休みが決定すると

少し気まづそうな雰囲気だったけど
時間が経つうちに
元気になっていく感じがしたので
明日は学校に行けそうだな・・・と感じました。

よそのご家庭でも
よくあるパターンだったりもするかもしれません。

欠席だった娘あてのお手紙を
同じ小学校に通っている兄が受け取って帰宅しました。


その光景が
これからも続くとは誰も思わず・・・。

日にち変わって翌日。

今度は「お腹が痛い・・・」と娘は訴えてきました。


まぁ寒い時期でもあるし
「風邪でも引いたかね~?」と
翌日も学校を休みました。


休みが決定すると、ケロッとして
テレビを見たりのんびり過ごしていました。


私は内心、穏やかではありませんでした。

翌日の朝・・・

「今日もちょっと・・・」

さすがに3日目ともなると
体調不良でないことも薄々わかり

「今日はひとまず学校に行ってきな。
行って、具合が悪かったら帰ってくるさ。」

と言って

私は泣きじゃくって体が硬くなっている
娘の手をで引っぱって

娘も行きたくない気持ちの最大の抵抗を
壁に爪を立てながら部屋に
留まろうとして踏ん張って


今でも時折思い出すと胸が苦しくなる・・・

修羅場のような
母と子の闘いで
力づくで学校に送っていきました。


今でも胸の奥がギューっと締め付けられる
親として可哀想なことをしてしまったなって
変えることができない光景です。


その一件があってから
担任のお若い女性の先生は
とても心配をされて

娘が学校を休みたびに
何度も電話で娘の様子を伺ってきました。

・学校で嫌なことはないか

・お友達とのトラブルはないか

・給食がイヤではないか

・勉強でわからないことがないか

・お家ではどんな状況か

様々な角度から『原因』を探っていきました。



私は私で
娘とゆっくり話をして
様子を伺っても・・・

当てはまる項目はありませんでした。


むしろ、学校は楽しく行っていた方だと思います。


その後、気持ちを取り直して
行ける日があったり
またお休みする日があったりを繰り返していきます。

ただ根本的なことは
私はわからないまま・・・

ひとまず学校に行ってくれるだけで嬉しいと思いました。


もう5年も前からの話なので
記憶のないことも多くあります。


仕事を譲れない歯痒さから自分を責める


ただ私は一点だけ
娘に申し訳ないな・・・と思っていることがありました。

それは
経営するダンススタジオのイベント出演や自主公演など
とても盛んに仕事をこなしている時期でした。


高校にダンスの授業を教えに行き
その学校のダンス部のコーチもやっていて
その他、出張させて頂いている場所を幾つも掛け持ちして

自分のスタジオ経営と
外部講師での活動で

めちゃめちゃ忙しくしていました。


サプライズパフォーマンスのフラッシュモブの依頼も
増え始めてきた頃で

仕事のスケジュールが
パッツンパッツンだったのです。


ダンスのメンバーも多く
レッスン数も多く
本番も多い。


選曲する作業。
音を編集する作業。
振り付けをする作業。
レッスンの数。
フォーメーションを考える作業。
衣装の手配。
各イベント担当者やフラッシュモブの依頼主との入念な打ち合わせ。

そして、レッスン現場の数の多さ。

それだけ求められていたことが
嬉しくて嬉しくて
お声がかかればどこへでも行かせて頂きました。


もう、これでもかと言うくらい
仕事量が増えていき

主婦でもあり
母でもある

いわゆるプライベートな部分を
なるべく隠して
仕事一筋に駆け抜けていた時代です。


ここまで読めば
きっと、お母さんの仕事してなかったよね?

と言われると思います。


「なおさん、忙しかったもんね」

と言われると思います。

その言葉・・・
私にとって一番辛いのです・・・。

主婦業も母業も
全て投げ出していませんでした。

その時のベストな選択をしていました。

踊って動きまくって疲れ果てた身体でも
レッスンから帰ってきたら
真っ先に子どもたちのいる部屋へ寝顔を見に行く。

朝も家族より早めに起きて、送り出す。

洗濯も掃除をして
夕飯の仕込みをして出かける。

夕方、短時間の帰宅をした時に
子どもに学校の様子の話を聞く
宿題を見る
ご飯の支度をする

家族の団欒の時間を取れない代わりに
自分のできる精一杯のことはしてきました。


いつも子どもたちに
「大好きだよ。愛しているよ」と
愛を伝えてきました。


フルタイムで働いているお母さんなら
きっとおわかり頂けることでしょう。

ただ全く、時間にも心にも余裕はありませんでした。


その後
娘が、だんだん学校から遠ざかっていくことになります。


小さくなっていく娘の背中を見て
私は、やはり自分に矢印を向けることになっていくのです。


私の働き方が悪いんだ。
こんなに仕事が順調なことがダメなんだ。
誰よりも目立つような仕事をしていることがいけないんだ。

メンバーの成長に合わせて
レッスンの時間をずらして夜のレッスンをすることがいけないのか。

大人のメンバーが増えてきて
こんなにダンスが盛り上がるって想像してなかったけど
予想していた以上の作品を創り上げていくことはダメなのか。


次々と入ってくるオファーに
心を震わせることがいけないのか。

全て全て
自分の仕事の量が増えていくことがダメなのか。


と、自分で自分に自信を失わせる問いかけをしていったのです。


でもスタジオではレッスンでは
そんな迷いは払って
気丈に振る舞っていました。


ダンスの先生として
メンバーのスキルアップに喜びを感じ

できていく作品に惚れ込み

誰よりも自信を持って
メンバーや作品を世に出していけることが
嬉しかったのです。


メンバーの成長も本当に眩しかった。
その姿が誇りでした。

そんな風に
表裏がかけ離れていく精神に気づくこともできず

そんな生活は続いていきました。

そのタイトな生活スタイルの中で
私は娘の学校へ同伴登校していくことにしました。

学校側の多大なご理解とご協力のもと
仕事と仕事の隙間のできる限りの時間

娘のクラスへ行かせていただくことになります。


まだまだ続く母子の奮闘記は
また次の回に駒を進めていきますね。


元気印の私ですが・・・

たくさんの葛藤をしながら過ごしてきたことを
こうやって綴っていくことで

同じような悩みに直面されている方の
お力になれば幸いです。


それを承知の上で
勇気を出して綴っていることを
ご理解いただけましたら幸いです。





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