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納得したうえでも喪失感はある。42歳で子宮を全摘出した話③

こちらの続きです↓

喪失感。わたしの場合。

42歳で子宮を全摘出した。それは、もうわたしの体の中には子宮がないということ。空いたスペースに蠢く腸の痛みに悶絶した後に、じわじわと侵食したのは喪失感。たとえそれが納得したうえで、自分で選んだことであっても、失ったものはもう戻らないと理解していても、それでも。それは小さなすきま風のように心寒さをわたしに与える。

子宮がないから、生理はもうない。毎月のように痛みに苦しむことも、(不意打ちの)どぼりとした独特の感覚を味わうこともない。貧血もなくなり、顔色の悪さもない。クローゼットから生理用ショーツもなくなった。

ある意味快適になった。けれど、例えば新しいパートナーと戯れているときに、ふと、あぁ、たとえ望んだとしてもわたしはこの人のこどもは産めないのだ、と思ったりもする。


子宮が疼かない

女性ならわかるだろうか? あの、下腹部がきゅんとする感覚。「子宮が疼く」とでもいうだろうか。それと、愛撫によって乳首が固くなることや、膣の奥で味わう快感。子宮を失くしてしばらくしてから、これらの感覚も失くしたことに気づいた。

もう、オンナとしても終わりなのだろうかと、正直焦った。

アラフォーを過ぎたおばさんが何をサカっているんだ、と呆れる方もいるかもしれない。でも、その頃のわたしは自己肯定感の低さをSEXという承認欲求で「満たさなければならない」と思い込んでいた。今思えば謎。

その話はまた別に書くとして。


子宮が失くてもわたしはわたし。

結果から言えば、先に書いた様々な感覚は、今のパートナーの手によって、数年かけて取り戻しつつある。それは私にとっては幸運であったのだと思う。

からだの中で失くしたり欠けた部分があったとしても、そのままそれはわたしであることに変わりはない。そう思えるようになって、漸くSEXしなければ心が保てないような呪縛から解き放たれ、純粋に、子孫繁栄と関係ない部分でSEXを楽しめるようになった。

自分の中の喪失感も愛せるようなってきたように思う。まだたまにすきま風は吹くけれど。




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