価値を自分で決められる人間に

はいどうも、毎日ゆるく生きてるエンジョイジャーナルです。今回は社会や遺伝子、それから親ガチャなるものを独断と偏見で書きます。

1 社会が残虐なのは当たり前

最近知った事だけど、ミシガン州とテキサス州の合同研究において「努力出来るかは遺伝子によって決まる」という研究結果を残しているけど、それってエグいんじゃなく身も蓋もない話だなと。

何故かというと才能も努力も遺伝子で決まるのだから、それに加えて親ガチャ、国ガチャなるものもあるんだから、これは無理ゲー社会ならぬ運ゲー社会で思った以上に残虐だなとは思いましたね。

しかし、それを言ってしまったら自分はありとあらゆるものがハズレにハズレてハズレの山が出来そうだなという感じはしますが、才能がなくて努力もできない今でもゆるく生きてるのだから、そういった意識は思ったよりないというか、そもそも論冷静に歴史を見ると社会が残虐なのはデフォルトなので、最近親ガチャとか連日騒いでいるのを見ると、皮肉とかなしに「当たり前の事によくそんな感情を持てるな」としか見てないんですよ。

つまり、社会は古今東西どこも、冷酷や残酷だからこそそのような文明を作れたとも言えるし、逆に何もなくてもゆるく今を生きていけるのだから、それはそれでいいかなと最近は思えるようになった。

しかし、世界には失敗とか成功とか思ったより気にする人がいるというのもまた事実だなと。

人は誰でも幸福になりたいとは思うし、そう思いたいのも理解出来るけど、1つ言える事は貴方だからその不幸で済んでいられるという事の証明にもなる。

何故ならこれは実に単純な話でして、例え貴方がいなかったとしても他の誰かにその不幸が回って来るだけなのでそういった流れは変わらないから。

そして、今のご時世大事な事は成功とか失敗とかの二元論を口にするのではなくて、自分の価値を自分で決めて、良い悪いを自分で決めるそういった事つまり、ニーチェで言う超人になる事が必要になって来るというのを感じた。

これはアインシュタインが言っていた言葉だけど、
「成功する人間になるな価値ある人間になれ」というものだけど、そういった言葉がある以上成功とか失敗の些末な出来事に囚われず、自分の価値を自分で決めてそれで1人でも助かるなら人生悪くはないかもなと。

という訳で貴方も失敗や成功等思わず、何も無き自分より超人になる事を願います。
今日はここまでになります。
ありがとうございました。