見出し画像

演劇が無くても生きていけるけど今後も劇団をやる理由(移転のリリースによせて)

さきほど発表をしたのですが、gekidanUは2012年の活動開始から拠点としていた一軒家を改造したアトリエを出ていくことになりました。
なかなかない機会なのでリリースをいっちょ作ってみました。1枚目かなり良くないですかこれ。

移転告知3

画像5


できることなら半永久的にいたかったのですが、上記記載の通り取り壊しになります。実は前々からその可能性はずっと存在しており、今年の頭には予想される未来としてメンバー全員で共有をしていたような状況でした。

ということもあり、今年の夏に作った「リアの跡地」は、夏にやる最後の作品として、主亡き後の家を舞台に実際のアトリエを取り巻く状況をトレースした脚本の元上演しました。(奇しくもその上演期間中に取り壊しとだいたいのスケジュールが正式に決まり、なかなかエモいことになってしまったなと思いながら上演していました。)下記ダイジェストです。


そもそもgekidanUは、この家に住んでいた主宰遠藤とそこに溜まっていた中高の同級生が「演劇ってよくない?」というノリから始まった劇団です。
稽古はずっと2Fのリビングで行われ、最初の頃は多少劇場でもやっていたようですが、お金がかからない隣接する駐車場での野外公演が中心になっていき、初期メンバーの就職と入れ替わりで入った僕と遠藤二人きりの時期を経て、メンバーが増えた3,4年前からは、家の中で公演が可能な「アトリエ」として、劇場としての改装を行ってきました。

画像2

画像3


なのでこの家という「場」がなければ絶対に始まっていなかった劇団がgekidanUです。

その「場」が無くなるにあたり、それなりに今後の活動を話したりする機会が定期的に持たれました。
現在gekidanUは活動休止中のメンバー含め8名、気付いたら大所帯になっており、立派な劇団になっています。
町屋のバーテンだった主宰も気づけば就職し、日中フルタイムで働いているメンバーが5名、28〜30歳くらいの働きざかりなメンバーが主な中、なんだかんだ外部団体の公演プロデュースやスタッフ外注なども含めると年間6〜8本程度の現場を回しており、我ながらようやってるな…と思う限りです。

それもこれも融通や勝手がききやすい自分たちのアトリエがあったからこそ実現できたことです。劇場代がかからないことで金銭的にも入団以来一度の持ち出しも発生しておらず、非常に恵まれている環境にありました。

そんななかで団体として大きなアイデンティティの1つ、いやほとんどそれ自体といってもいい過言ではないものが無くなることが決まり、今後どうするか、ということは当然議論になるべきところでした。
極端な話「はい解散!」もあって然るべき中、メンバー内では当初より「どうやって続けていくか」という話になり、それ以来活動しながら常に考え続けています。
というより、無くなるという現実を前に、「いかに持続可能な劇団であるか」ということをより明確に考えるようになっています。

もちろん個々で価値観は少しずつ違いますが、現状メンバーで「演劇で食っていこう」と強く思っている人間は一人もいないんじゃないかと思います。多分半分くらいの人間は本気でそうしようと思えばなんとかやっていける気がしますが、それぞれがそれぞれの理由でそれを選んでいない状態です。

そういう「『なにか』になるための集団」ではないのに、これだけ野心的に色んなことをしてきて作品のクオリティを上げ続けようとしてるのは本当に誇りですし、(誰に言われてるわけでもないけど)舐めんじゃねぇぜ的な気持ちがありますが、その状態で「劇団」という不確かな共同体を維持するのって、今後もけっこう難易度の高いことなのではないかと思います。
劇団たるものより面白い演劇をつくることを前提とした上で、その「維持する」ことの難しさに挑んでいくのも今後のモチベーションの1つなのかなとも思います。

また、他人が同じ集団や関係性でやっていく上で必要なことは、例えば
・目指す目標が同じ
・好きなものが同じ
・そもそも仲良し
あたりかなと思いますが、gekidanUという集団でいうと面白いくらいに全部当てはまらないんじゃないかと思います。
目標は上記のように皆バラバラだと思いますし、「こういう芝居が好き!」だったり「演劇がとにかく好き!」みたいなマインドもそんなに合致しないし、今のメンバーでプライベートで誰かと誰かが遊んでいるという話は聞いたこともありません。
まじめに言えばもちろんそれぞれの担当セクションへのリスペクトはもちろんありますし、あと強いて言うならば「嫌いな芝居」とか「嫌いな座組の感じ」が共通してるとかでしょうか…意外と大事かもしれません。

生きていく中で、タイミングによってそれぞれの中での劇団の優先順位が変わっていくことももちろんあるでしょう。すでにそういう経験は団体内でもいくつかしており、続けていく上ではこの辺りをどう捉えるかも大事なポイントです。
あとこの辺りの価値観でいうと、「演劇が無くても生きていけるけどあったほうが豊かになるな」という人と「演劇は生きていくために必要」という人はおそらく混在しています。ちなみに僕は圧倒的に前者ですが、この違いが一緒にモノを作る上でのノイズになるのはとてももったいないことだと思っています。

いろいろ書きましたが、恋愛でも仕事でもなんでも、人と人が別れるときは上記に記したような価値観や捉え方のズレなどを元に「スピードが合わなくなるとき」だと思っています。
成長のスピードだったり、理解のスピードだったり、「共にできないな」と思った瞬間にうまくいかなくなるものです。もちろん不可抗力だったり仕方ないパターンもありますが、そうではなく相互理解と時間が解決することもあるかと思います。長年やってきて相互理解もあり意思を同じくしているのに離れてしまうのは本当にツラいことですし、できれば今後も経験したくないものです。

そう考えると「場」を持つことは今後も我々にとって非常に必要なことなんだろうと思います。作り上げてきたアトリエと同じくらいのクオリティのものを、共に在るための「場」をつくりながら作品をつくることを通して、目線やスピードを合わせていけるんじゃないかと思っています。少し時間はかかるかもですが、我々だけでなく他の方にもお貸しできたり、今と同じような使い方ができる場所を作っていきたいなと思ってます。

なので2022年以降も我々は変わらずに活動していきます!ご期待下さい!そしてもしいい感じの物件があったら教えて下さい!


で、表題の「演劇が無くても生きていけるけど僕が今後も劇団をやる理由」についてですが、ここまで書いて改めて、僕にとっての演劇は1つの大切な「社会とのつながり」なのだと思います。
前劇団での地方での旅公演や、客演としてのふるまいや、南千住の住宅街での毎年同じ時期に行う野外劇や、アトリエの運営など、10代末〜20代の時間の多くを費やしてきた中で感じたものは、作品つくりでの直接のやりとりや作品を媒介とした他者とのコミュニケーションのすべてが自分にとっての社会を広げる体験だったのだと、現在地から振り返ってみると思います。

なので今演劇や劇団が無くなると「別に生きていけないわけでは全然ないけど、なくなったらとにかく寂しい」から続けていきたいんだろうな、という結論に達しています。もちろん単純に演劇つくりは楽しいけども、根っこはそこなんだろうなぁと。
という話をこの前主宰とZoomで話したら全く同意見だったので、ここが一致してれば大丈夫だと一安心しました。

それなりに大きな発表に合わせた単なるお気持ち表明ではございましたが、読んでいただきありがとうございました。
最後に、ここまで南千住で一緒に演劇つくりをしていただいたすべての皆様、観に来ていただいたすべての皆様に心からの感謝を申し上げます。皆様のおかげで、さまざまな素晴らしい光景を見ることができました。

ここで残された時間はあと半年ほどとなりますが、最後まで良い場所、良い時間をできる限りつくっていきたいです。

今後とも何卒、よろしくお願い致します!

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?