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ラディゲと腸チフスと降霊会

 レイモン・ラディゲは今でも読まれているのだろうか。コクトーの「恋人」と噂され、『肉体の悪魔』で文壇の寵児となり、その後腸チフスで20歳の若さで亡くなった作家である。今日はこのラディゲについての小ネタを披露したい。

 光文社古典新訳文庫のラディゲ年譜によれば、1923年の4月、コクトーとラディゲは降霊会を何度か行い死神を呼び出したという。そして9月半ば、ラディゲは牡蠣を食べたことで腹痛を訴え、その後体調が悪いまま、仕事を続けて12月の初めに腸チフスと診断される。そして12月9日、コクトーに「三日後に僕は神の兵隊に銃殺される」と言い、まさに三日後の12日に息を引き取った。この記述で私の興味を引いたのは、1)この年譜では、牡蠣を食べて腹痛を起こしたことが腸チフスの原因ではないかとされていること、2)死神を呼び出したということ、の二つである。

1)ラディゲが牡蠣を食べたことは腸チフスの原因になりうるのだろうか?

 辻邦生の『樹の声海の声』の主人公咲耶(コノハナサクヤヒメから名前をもらっている)は、公立の小学校で英語を全く学ばないまま、試験の直前に家庭教師についただけで学習院の中等部を受けた。入学試験では、英語は白紙で出したが、他の科目が満点だったために合格した。そして入学後に英語の勉強にも力を入れて、暗誦大会で一等賞をもらう。両親は喜んで、好きなものを食べに行こう、と言い、咲耶は「カキフライ」と答える。そして、こんな美味しいものはない、と幸せに浸りながらお皿いっぱいのカキフライを食べ、その後腸チフスとなって長く病床につくことになる。つまり、牡蠣を食べてからチフス発症までの期間は非常に短い。これに対して、ラディゲは診断までに3か月かかっている。よって、ラディゲの腸チフスと牡蠣を結びつけるには、もう少し他の文献を探さなくてはなるまい。

2)死神を呼び出したことと死を迎えたことは関係があるのだろうか?

 まずは「霊を呼び出す」話から始めよう。「こっくりさん」をご存知の方は多いだろう。紙に字を書き、10円玉を置いて、数名でその上に指を載せる。質問すると「こっくりさん」が降りてきて、誰が動かすでもなく10円玉が動き、答えをくれる、というものだ。小学生が放課後の教室で扉を固く閉めて(というのは先生に見つかったら叱られるからだが)行う密かな遊びである。10円玉を動かすことはそれほど難しくないので、誰かがこっそりと引っ張っていても不思議ではない。しかし、フランス版こっくりさんはこれとは大きく違っている。

 実は私はフランスで「こっくりさん」をしたことがある。それは10円玉ではなく、小さなグラスを使う(ショットグラスくらいのものが望ましい)。文字と「ウイ」「ノン」を書いた紙を置き、グラスをひっくり返して指を置き、「精霊(エスプリ)よ、もしいらっしゃるなら『ウイ』の方に行ってください」と言うのだ。当時は寮に住んでいて、仲良しグループの誰かが「エスプリしない?」というのでつき合ったのだが、メンバーに霊感を持った人がおらず、残念ながらこの日はグラスは微動だにしなかった。しかし、別の友だちの恋人が「エスプリができる」というので、私は性懲りもなくその友だちの家に行った。そして同じようにしたところ、グラスがひょいひょいと動いたのである!10円玉なら引っ張って動かせるだろうが、グラスのその動きは、どう考えてもその子が指でどうにかしているとは思えなかった(時折、切れ味鋭く曲がったりもした)。その恋人(ロランという名前だった)はどうやら霊的素質があるらしく、何かあると精霊を呼び出して、色んなことを尋ねているという。そして友だち(フロランスという)は「こんなこと、ヴィクトル・ユゴーもしてたしね」と事もなげに言っていた。なんでも、ユゴーが催した降霊会ではテーブルが飛んだそうだ。その時、「何か聞いてみる?」と言われたので、私はためらわず「就職できるかな!?」と尋ねた。当時の私には、それは死活問題だった。すると、エスプリはスーッと「ウイ」の方に動いたのである!さらに「どこで!?」と尋ねるとエスプリは「OSAKA」と答えた。終わってから、フロランスはクールに「ロランの深層心理も影響したかもしれないけど。彼はあなたが大阪から来たって知ってるからね」と言ったのだが、結果的に、帰国して2年半後、私はめでたく大阪に職を得たのである。

 そんなわけで、ある種の人には霊が呼べる、ということを私は微塵も疑っていないのだけれど、そこでよりによって死神を呼び出さなくてもよかったのに、という気はする。ラディゲを失ったのち、コクトーはショックのあまり、10年間アヘンに溺れたという。(記事のヘッダーに挙げたのはコクトーのデッサン。)

 人間誰しも死ぬのだから、生きているうちに魂を磨かなくてはならぬ、ということを最近つらつらと考えているわけだけれど、それにしてもこのラディゲの振る舞いはもったいなかったなという気がしてならない。




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