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『ふたご』を読む

 藤崎彩織の『ふたご』、文庫本が発売されたので、早速買ってきて読んだ。Saoriちゃんのファンになってから『ふたご』もすぐに読みたかったのだが、文庫本になるというのを知り、だったら「文庫本のためのあとがき」がつくはずだ、というおまけ根性で、読むのを今日まで延ばしていたのだった。で、一気読みした。

 とにかく瑞々しい。子どもの頃の生きづらさや、思春期のどうしようもない閉塞感や、先の見えない死に物狂いの感じが、小説と一緒に蘇ってくる気がした。私は主人公の夏子とは、世代も性格もしていることも全く違うのに、かつて自分の奥にあったヒリヒリしたものが、小説をきっかけに一気に出てくるようだった。

 途中でホッとしたのが、第二部の最初で紹介されるおみくじのエピソードだ。夏子が引いたおみくじには『その希望が絶望に変わることはない』という言葉が書かれている。そしてこれが物語を最後まで引っ張る。そう言えば、かつて先の見えない時、雑誌の星占いをいつも読んでいた。少しでも希望的なことが書かれていると、それをマントラのように持ち続けた。夏子はこのおみくじの言葉をそこまで信じ込んでいるわけではないが、最後にその言葉がふっとつながるのだ。

 この小説を読む前に、Saoriちゃんの書いていたブログを全部読んだ。セカオワ本も読んだし、インタビューも読んだ。だからエピソードとしては少し重なるところもあったし、それらを読みながら、Saoriちゃんと深瀬くんは、魂の双子なんじゃないか、と思ったこともあった。けれど、小説にはその裏にあった涙や叫びや、二人の結びつきの強さが生々しく描かれていて、それは全部初めて見るものばかりだった。そしてこの小説には夏の夜がとてもよく似合う。セカオワの曲には冬のイメージがある、と先週のラジオでリスナーから言われていたのだが、実際の彼らは実は「肉労系」なのかもしれない。目一杯身体を動かして自分たちの居場所を作り、ちょっと星を眺めながらビールを飲むような、そんな感じがした。

 Saoriちゃんという人は、ピアノの腕は抜群、作詞も作曲もでき、舞台演出もでき、脱力した絵も描けて、おまけに自分を客観視する聡明さもあり、なんでも持っている人に見える。けれど本人には全くその自覚がなさそうだ。大変な思いをし、自分など大した者ではないと思いながら詞や曲を作っている。多分小説もそうだったのだろう。けれどできあがってくるものはちゃんと素晴らしい。生み出すのは大変だろうけれど、これからも楽しみに見ていきたい。




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