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入学式に黒スーツ?の話

 今の大学生たちは、入学式に黒いスーツを着るそうです。理由は、就職活動に使えるから、とのことです。入学式に、これといった服がない→買いにいく→2年と少し経てば就職活動が始まるのだから、それにもも使えるスーツを、と考えることに全く不思議はないのですが、そうではない人たちもいるだろう、ということで、ちょっと考えてみます。
 2019年4月、朝日新聞に、「リクルートスーツ 黒一色、思考停止への道」という記事が掲載されました。要旨を述べると、
1)就職活動を行う日本人学生が「リクルートスーツ」を着るようになったのは1980年代、それが黒になったのは2000年代初頭である。
2)さらに、昨今は、大学の入学式にまで、この就職活動に向けた服装操作が行われている。入学式の服を買いに行くと、店員から黒を勧められ、さらにパンツスーツはよろしくない、ということでスカートがいい、と言われる。
3)黒スーツには歴史的必然性がない上に、自由であるべき人間の思考停止につながるのでは。
4)服装を統制することは、言論や思想の統制と隣り合わせである。得体の知れない慣行に、無批判に従う心は平和のうちに断ち切っておくべきである。
ということです。この記事に登場する国際基督教大学の学生部長は、2019年の入学式前に「あなたには黒を着る権利も、着ない権利もあります」とメッセージを送りました。

 経済的に、何着もスーツを買うのは無理なので、着回しのきくものを、という選択にあれこれ言うつもりは毛頭ありません。しかし「入学式には黒のスーツ、というのが常識らしい」→「周りから浮くのが嫌なので、それに合わせておく」という思考回路は、少々危険ではないかと思います。誰も強制をしたわけではないのに、勝手にそこに従う、というところには同調圧力が働いているからです。
 
 『西の魔女が死んだ』の作者、梨木里歩さんは、『ほんとうのリーダーの見つけかた』のなかで、この同調圧力について書いています。どちらの鉛筆が長いか?を見る錯視の実験、ということで呼ばれた人たちが、短い方の鉛筆を「長い」と答えます。これを見た人が、首をひねりながら、自分も短い方を「長い」と言ってしまうのですが、実はこれは錯視ではなく、同調圧力の実験でした。呼ばれた人たちはあらかじめ、短い方を長いと答えるように言い含められていたのです。最後に答えた人は、この同調圧力に屈して、思っていないことを言ってしまったのでした。着たくもないのに「常識だから」と黒スーツを着てしまう心理はこれと同じです。そこには、自分を曲げてでも人と同じということで安心したい、という心があります。
 
 2020年から2022年まで、コロナ禍のため、大学の入学式は従来の形で行われないところがほとんどでした。2019年に、黒スーツ一色の風潮に疑問を投げかけられて以来、この春が初めての「元の形に戻った入学式が行われる年」となります。どういう服が着られるのか、大いに注目したいところです。


 


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