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どうせ歩くなら東海道 08 【関〜亀山】

東海道を(ちょっとづつ)57歳女が歩いた記録です。

このところ草津線ばっかり乗っているので
ためしに関西本線で関まで行ってみた。
そしたらまあ!
車窓から眺める木津川の渓流美が
なんとも美しいこと。
2時間47分があっという間。
窓の外をずっと見てて首が痛くなった。

ごめんなして。関宿
スタートの前にこちらを見学。

関宿 旅籠「玉屋」歴史資料館
三重県亀山市関町中町

午前9時。お客は私だけ。
受付のマダムはまだ朝の掃除の最中だったのに
あたふたと受付をしてくださった。すみません。

関宿 旅籠「玉屋」歴史資料館
三重県亀山市関町中町

名の知れた旅籠とはいえ、やはり基本は相部屋。
「多いときは二百人くらい詰め込んだのよ。」
マダムが床の雑巾掛けをしながら説明してくださる。
(朝早くからホントにすみません。)

身の危険を感じたり盗難にあったり
同室のヤツとケンカしたり。
相部屋だと日常茶飯事だったろうに。

八隅蘆菴(やすみろあん)さんも言っておる。
相客には気をつけろ。
特に挙動不審者と酒乱には注意せよ。
すぐに逃げられるように非常口を確かめておけ。

しかしこうも言っておる。
自分がちゃんと気をつけていれば大丈夫。

結局それかい! ま。そりゃそうだ。
緊張感を忘れない。鉄則ですよね。
私めも肝に銘じておきます。蘆菴さん。

申し遅れました。
八隅蘆菴さんは江戸時代の人ですが
旅好きであちこち出かけており
周りの人からアドバイスを求められ
「旅行用心集」なる書物を書いてしまった
普通のおじさんです。

伊勢別道との追分。
ここから拝んどけばもういいか。
そんな気持ちにさせる立派な鳥居は
式年遷宮の時のお下がりだそうです。

関宿 東追分・伊勢別道別れ
三重県亀山市関町 木崎

関宿とお別れして国道1号線に出る。
陸橋を渡って小野川沿いの道をそのまままっすぐ。

小野川橋東詰
三重県亀山市小野町

ここほんとに東海道?

おっと。足元に。

なんだか遊ばれてる気分。

小野川はこのあたりで鈴鹿川に合流します。
久々の鈴鹿川。つかず離れずの関係。

三重県亀山市太岡寺(たいこうじ)町

鈴鹿。すずか。いい響きだなあ。

ちなみに、「鹿(か)」はもともと「処(こ・か)」で、
鈴のある場所、つまり関所のある場所を表しているそう。
(諸説あり)

でも、あえて「鹿」と書くからいいんだよね。

東名阪自動車道と名阪国道。
高架をくぐってくぐってまたくぐる。

三重県亀山市太岡寺(たいこうじ)町

景観ぶちこわし!

Amazonにも宅急便にも
高速バスにも全国名産展にも
散々お世話になってるくせに。

どの口が言うねん!

わかっちゃいるけど
やっぱりこんな景色を見ると
悲しくなってくる。

かつての太岡寺(たいこうじ)畷。
今は桜並木が続いています。

太岡寺畷
三重県亀山市太岡寺町


関西本線の跨線橋が左手に見えてきた。
ここ上っていいんだよね?

三重県亀山市布気(ふけ)町

案内板が見当たらない。
ちょっとあせる。

ふう。助かった。こんなんばっかり。
三重県に入ってから
案内板の存在感が微妙にないのだが
気のせい?

跨線橋を渡って東へ進むと
布気(ふけ)の集落に入ります。

三重県亀山市布気町

布氣皇舘太神社(ふけ こうたつだいじんじゃ)
三重県亀山市布気町

フラフラと誘い込まれそうになるのを我慢して
先を急ぐ。

東海道でこれまで目にしてきた神社やお寺は
ここに限らず由緒のある古いものが多いのだが
ほとんど素通りしてきてしまっている。
ちょっと消化不良気味。
今度ゆっくり訪れたい。

野村一里塚。
三重県では唯一現存する樹齢400年の椋。

野村一里塚
三重県亀山市野村

布気から野村を歩いていると
板張りの民家が目につくようになった。

押縁下見板(おしぶち したみいた)張り。
押縁(縦の細い板)の間隔が比較的狭いのは
このあたりの特徴なのかな。
窓の鉄格子ともよくマッチしてておしゃれだ。

こちらはかつての庄屋さんのお屋敷。
明治天皇が行幸されたときに休憩された場所。
現在は焼肉屋さん。

内池家主屋・焼肉 長治郎
三重県亀山市野村

明治天皇もいいんだけど
松坂牛も気になる。
誘惑に駆られそうになる。

が、振り切って進む。

しかしまたも新たな誘惑が。

一休処骨董カフェ
三重県亀山市野村

振り切って進む。

トイレの誘惑にはさすがに勝てません。
旧佐野家住宅でお借りする。
自由に入って見学できます。

旧佐野家住宅
三重県亀山市野村

誰もいないのをいいことに
板の間に腰掛けて休憩しながら
ここは自分の家で私はこの家の主人だと
無理やり自分に言い聞かせてみた。
しばし夢の世界に逃避できて満足した。

いいよなあ。こういう家。

旧佐野家住宅
三重県亀山市野村

虫籠窓。漆喰。押縁下見板。雪見障子。
どれも粋で美しくて優しくて
それでいて機能的でもあり
日本の気候や風土にちゃんと合わせてある。

昔の人の知恵や技術はすごい。
東海道を歩いていると
いやというほど思い知らされる。

亀山宿に到着。
亀山藩石川氏六万石の城下町でござります。
家老加藤さまのお屋敷。
典型的な武家屋敷。

亀山藩家老 加藤家屋敷
亀山市西丸町
亀山宿 西町の集落
三重県亀山市西町
亀山城多聞櫓
三重県亀山市本丸町

亀山城下は起伏に富んでおり
細い路地の先がいきなり崖だったりするので
心臓に悪い。(高所恐怖症)

三重県亀山市西町

広重の絵もやっぱり崖。

またまたあ。盛って描いちゃって。
なんて思ってましたが
確かにイメージ的にはこんな感じでした。
広重さんごめんなさい。

東海道が商店街のアーケードと化していた。

このあたりに本陣などが並んでいたから
かつては宿場の中心だったと思われるのだが
その肝心の本陣が見当たらない。

それもそのはず。
西側から見た風景(左)と東側から見た風景(右)

三重県亀山市東町

そりゃわからんわ。
進む方向が逆だと見えるものが全く違うんだね。
地面の勾配も違えば体力の消耗具合も変わるしね。
鈴鹿峠でよくわかりました。

本日のゴール。
亀山城江戸口門跡。到着!

亀山宿江戸口門跡
三重県亀山市本町



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