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ウガンダ家族と初対面

20年も経つと忘れてしまう事が多いし、私は記憶力は良くないので何でもすぐ忘れますが、夫の家族と初めて会った日の事は忘れられません。妙に細かいディテールィをところどころですけど、今でも鮮明に覚えている部分がありますので、できる限り書き留めておきたくなりました。

文章力はないので、稚拙な表現はお許しください。あくまで、記録を留めておくためで・・・

写真は、ステイホーム期間にお片付けをして発見した写真で、まだ、デジカメの普及していなかった頃のものです。夫の両親と初めてエンテベ国際空港で対面した直後にヴィクトリア湖畔でお話した時の写真です。

2000年12月24日クリスマスイヴの日の午後に初めてのウガンダ、2回目のアフリカ大陸へ到着予定でしたが、乗継ぎのドバイの空港で、搭乗予定の便がテクニカル問題で大幅に遅れる事がわかりました。「どうしよう、エンテベ国際空港に迎えに来てくれる夫に連絡しないと」と焦って、国際電話カードを買ったものの、使い方がわからず電話機の近くにいたクリーニングスタッフの方に、国際電話のかけ方を聞いたところ、教えてくれたのですが、つながってみると、どうもどちらの国かわからない言語が聞こえてきました。どうやら、クリーニングスタッフの方も外国からの出稼ぎ労働の方で、自国への電話のかけ方を教えてくれたようです。エンテベの空港でも遅延はわかるから、電話しなくてもよいかしらと諦めかけましたが、別の公衆電話で話している男性2人組が「----セボ。 ----セボ。」とどうやら夫と同じウガンダの言葉を話していらっしゃる!

「あのーウガンダ人ですか?」

「そうですよ。なんでウガンダ人てわかるんですか?」

「セボって言っているの聞いたので」

「あなた何人ですか?ウガンダ語わかるの?」

「いいえ、セボ(sir)とニャボ(madam)だけ知っています。日本人です」

というようなやり取りを英語で行ったら、2人のウガンダ人は大ウケで、喜んで国際電話のかけかたを教えてくださいました。ウガンダの方は、外国人がウガンダ語を話すのを聞くと大変嬉しく思われるようです。その上、これから自分たちの乗る飛行機に私が一緒に乗る事も喜んでくれました。20年前は今ほどウガンダへ行く日本人は多くなかったからです。エミレーツ航空のフライトも、羽田ー関空ードバイーアディスアベバーエンテベと4回離着陸を繰り返さなければならず、現在と比べると不便でした。それでも、ヨーロッパ経由と違って同じ日のうちにウガンダへ着ける行き方が、とても便利に感じたものでした。ドバイまでは、日本人も大勢見かけましたが、ドバイから先は東洋人は自分1人で、ずいぶん遠くまで来たという実感がありました。

さて、電話で、「飛行機が4-5時間遅れてるから、親戚大勢で迎えに来るのはやめてね」と夫に伝える事ができたので、安心して、ドバイでは、陽気なウガンダ人二人組とマクドナルドで時間をつぶしたりして、旅愁を感じる間もなく過ごしました。

こじんまりした、エンテベ国際空港に無事に到着したのは、午後2時の予定が、夕方6時過ぎになっていました。更に、やはり日本人が目立ったからでしょうか、税関の係員は、スーツケースを開けて、中身を全部確認するので、よけいに遅くなり、もう周りに誰もいなくなった頃にようやく待合ロビーへの扉を通過する事ができました。夫がちゃんと待っていてくれなかったらどうしようという不安に俄かに襲われました。

そんな不安な気持ちで、扉を通過した途端に、鮮やかな金色の民族衣装のしっかりした体格のご婦人が正面で、ヒマワリの花みたいな笑顔で、手を大きく振りながら立っているのが目に飛び込みました。眩しくて周りの人が見えなくなる程の存在感で、夫のお母さんだと一目でわかりました。なんていう安心感でしょう。まっすぐ、お母さんの方に歩いて行くとあっという間に老若男女に取り囲前れました。お母さんにハグをし返して、お父さんらしき人に握手をして、あとは、よく思い出せませんが、どこからか、夫が現れて、夫の家族とか、親戚か、友人とかに囲まれながら、空港の建物の外に出ました。外は12月の午後7時頃でしたが、まだ明るく、暑いというより、爽やかだったと思います。これからお家に行くのだろうと思ったら、今から、ヴィクトリア湖のビーチでクリスマスパーティーだと言うではありませんか。私は、乗用車に乗せられましたが、さっき空港でわらわらと集まって来た人達は、皆で、スクールバスを一台借り切って来たそうです。

「え?まさか、せっかくのクリスマスパーティーなのに、皆、4時間空港で待っていたの?待たせないでって言ったじゃん!!!」

と夫を責めましたが、何も気にしていないようでした。ウガンダ人が待つのを嫌がらない事を当時の私は知りませんでした。

暗くなり始めたエンテベロードに出て、ビクトリア湖のビーチを目指して、乗用車とスクールバス1台が走り出しました。

これは、今になっての私の想像ですが、スクールバスの中は、この後、私と濃く長いお付き合いをすることになる夫の家族、親類達が、大人も子供もクリスマスのワクワクとナントンゴという外国人を家族に迎えたワクワクで、たいそう盛り上がっていたのではないでしょうか。

一方乗用車では、義父母とか、大勢の初対面の親類と、この後すぐに挨拶したり話したりする事が怖くなった私が、なんとか、私だけは、ホテルに直行させてくれないかと夫に頼みたい気持ちでしたが、能天気な何も心配していない夫には、通用しないだろうと諦めて、腹をくくっていました。この時、既に、ウガンダ文化でのタブーをおかしていた事に、まだ気づかずにいました。

タブーのお話は、長くなりますので、また後日



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