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ランドセル。

3月19日、長男最後のランドセル登校。

この後ろ姿を見送るのもこの日で最後。
小学校生活振り返れば6年間というのはいろんなことが想像していた以上にあって長い道のりでもあったけれど、6年経とうとしている今思うと、あっという間の6年間でした。


小学生の象徴のランドセル。
入学当初はランドセルを背負ってるではなく、ランドセルに覆いかぶさられてるんじゃないかと思うほどでしたが、いつの間にかランドセルが小さく見えるようになっていました。

だけどランドセルの重さは変わらず。3年生以降は教科書も増え重さも増していきました。

長男の小学校は山の上にあり、オールスター感謝祭の赤坂ミニマラソンに出てくる最後の坂のような、それ以上の坂が待ち構えてるのです。
その坂をこの重いランドセルを背負っていかなければならいかと思うと、母心としては「なんとかならないもんか」と日々思っていました。
教科書なんて算数国語以外は学校に置いていてもいいんじゃないかと。
それか、いっそのことランドセルに拘らずリュックでいいんじゃないかと「ランドセルの意味とは?」と本気で思っていました。

そんなことを思っていた私。

次男が支援学校へ入学することになった時、「登校カバンが自由ならランドセルを」と思い始めていたのです。
「みんなと違うレールを行くけれど、せめてランドセルを」とさえ思っていました。
だけど、即決できない私もいました。
そんな時夫が、「ランドセルじゃなくてもいいじゃないか、次男が登校しやすいものでいいじゃないか」と言ったのです。
その言葉でハッとなり、あれだけ重たいだけのランドセルに否定的だったのに『小学生=ランドセル』という象徴のようなものを私自身も抱いていたんだとランドセルに拘ってしまっていた自分にショックを受けました。
人間はというか、親はというか、私という人物は勝手ないきものだなと痛感しました。
そして、次男はランドセルは買わず軽いリュックにしました。


だから、写真のランドセル姿は本当に最後に見るランドセル姿です。

次男にランドセルを買わなかったことに後悔はまったくありません。

だけど今思うことは、「ランドセルもいいもんだね」。

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