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見取り図寄席から考えた、お笑いの変遷とファンが関係性にハマりやすい心理

もう2週間も前の話になるが、名古屋で行われた「見取り図寄席」に行ってきた。

私が、人生の中で一番熱心にお笑いにはまっていたのは多感な10代の頃で、ひねくれてアングラな世界にはまっている自分に陶酔していた時期。今となっては恥ずかしい時代だったね、と笑い話にできる。

あの頃に見ていた芸人さんの姿と、今の芸人さんのあり方は確実に変容している。

外観至上主義の世の中が形成されている上で、外見をいじること。誇張して誰かを傷つけるような、言動を助長するようなモノ。気が付いたら笑えなくなって、うんざりしてしまって、お笑いから離れた。なんて建前を言っているが、好奇心旺盛で多趣味がゆえに、自然と飽きていったのが正しいのかもしれない。

ひねくれて小さくなっていた地元で、唯一の息抜きが劇場に行くことだった。小さい頃から新喜劇の番組がお昼に流れているのを耳にして育ち、わかりやすいデブやブス発言は、”形式上・エンタメ上のお笑い”だと理解はしていたが、さらにどんどんと笑えなくなるフレーズ・やり取りが増えてきて、そっと離れるようになった。

今回の見取り図寄席でみた、とあるコーナーの一場面。相手の特徴を尊重してフォローをしながら、お笑いを進める姿に、きっとこれが「令和式」なんだろうなと思った。

初見だったので確実な性格はわからないが、たくろうというコンビの赤木さんが少しテンパりやすい性格なのか、コーナーのある場面でテンパってしまう場面があった。すかさず、オズワルドの伊藤さんが「彼はテンパりやすいんで」とフォローに入り、見取り図のリリーさんが赤木さんの言動を活かして笑いにつなげた。その後、出演者の全員が被せた笑いにつなげて、会場の皆がどっと笑う結果となった。

このやりとりを見て、出演者・見ている観客全員に対してスマートだなと思った。

テンパりやすい特徴をディスるわけでもない結果に、苦手だという人もいるかもしれない。特徴を無視して、一刀両断で終わらせてもお笑いだったかもしれない。だけど、私が熱心にハマっていた10年前とは、少し違うようなあり方に驚いた。

このお笑いを否定する層もいるだろう。そして、歴史の長いお笑いという世界で積み上げてきた過去の人々のお笑いを否定するわけではない。ただ、時代に合わせてしっかりと変容できる人がファンを積み上げていくのだろうと思った。このように、誰かのフォローをする行為や関係性のあり方から、私のような一定の層は、”人間関係性にハマる”ので、ここを抑えるとファンが多いんだろうとも思った。


芸術が時代に合わせて、写実主義から印象派へと流行が変遷していったように、お笑い芸人さんの立ち居振る舞いも変容している。

漫才やコントなどの取り扱う内容や言葉の移り変わり。活躍するプラットフォームが、舞台やテレビにとどまらず、個人やニッチ層へ向けたSNSと多様化した。

これまであれこれ言ってはいるが、シンプルに漫才やコントは好きだ。何も考えたくないとき、人を笑わせるために演じている芸人さんに笑わされて、少しだけ元気になったことだってある。

いろんな芸人さんが「やっぱり漫才/コントは生で観てほしい」というだけあって、生でしか触れることができないやり取りは貴重。

テレビなど、整えられた魅せるために作られたコンテンツはもちろん面白いが、生での小さな出来事が、一番熱いなと感じたサイコーな夜でした。

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