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【読書感想文: 料理なんて愛なんて】料理嫌いな私の回顧録

料理が下手でフラれた私。
嫌いな言葉は「料理は愛情」――

料理嫌いな優花は、ずっと好きだった真島に高級バレンタインチョコを渡すも「好きな人に手作りチョコをもらったから」と振られてしまう。

真島が憧れていた相手は料理教室の先生だった。

その日から、彼女の格闘と迷走が始まった!

自炊に挑戦し、料理男子と合コンし、初めて「みりん」を購入するも
料理が上達するどころか好きにもなれずに苦悩する日々。

“料理は愛情”というけれど、料理が嫌いな優花の愛情は一体どこに――!?

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タイトルからして気になっていた、佐々木愛さんの「料理なんて愛なんて」。料理嫌いで「料理は愛情」に振り回される主人公の本音に共感する部分も多く、一気に読み終えた。

この記事を書いている私(南天)の個人的な話になるけれど、私も基本的には料理が嫌いで、「料理は愛情」ではないと思っている。少なくとも、「料理=(イコール)愛情」ではないはずだ。極端な話、夫に出す料理に薬を盛って寿命を縮めようとする妻もいるというのだから、愛情じゃない料理だってきっとある。「料理は〇〇」なんて、料理をする人が誰に向けて作ったかやその時の感情で決めてもいいのではないだろうか。

こんな考えに至るまでの自分の料理遍歴を振り返ってみた。

私の料理嫌いの発端は、高校生まで遡る。
高校に入学する頃、それまで専業主婦だった母が「自己実現のため」と称して突如仕事を始め、その収入を自分のためだけに使い、家庭を顧みないようになった。

突如変わった環境や役割分担に家の中がギスギスし、家族関係(主に両親の仲)が急速に悪くなったのもその頃だ。なんの話し合いもなく放棄された家事の中でも、夕食作りは特に問題だった。(昔から朝と昼は各自で食べる)

母は、家に帰ると仕事でのストレスや不機嫌を撒き散らすようになったが、帰ってきて料理が作られていなければ、それはさらにヒートアップした。誰が何を言っても、止まらないし、変わらない。

父はそんな母と、家事や食事の用意がされていない家の状態に苛立ちを隠さなかった。それ以外の理由でも両親の衝突は増え、家には言い争う声とわざと相手に聞こえるように吐く大きなため息が絶えなかった。

弟が1人いるが、放課後も休日も部活に勤しんでいて、あまり家になかったので、当時の彼の様子をよく覚えていない。いたいと思える家でもなかっただろう。

私と言えば、電車通学が必要な遠方の高校に入学し、慣れないことだらけの毎日に余裕などなかったし、両親の諍いや不機嫌にもうまく対応できず、泣くことが増えた。

しかし、その食事作りという役目は、さも当然と言わんばかりに私に回ってきた。母の「ずっと私が家族のために作っていた」という言葉とともに。我が家の食事作りは誰もやりたがらない厄介ごとでありながら、家族を存続させたいのであれば誰かがしなければいけないこととなってしまったのだ。

今でこそ、スマホでレシピサイトを見ながら作るようにもなったが、当時はガラケーで、通信速度も遅く、レシピサイトを見ながら作るなんて思いつきもしなかった。その上、高校から帰るとすでに料理本を開く余裕がないほど、するべきことと時間に追われていた。

最寄りのスーパーは車がないと行けない距離だったので、材料だけは母が適当に買ってきた。にんじんとか、肉とか、卵豆腐とか。テーブルには数年間、似たような材料で作られた、同じような味付けの、変わり映えのしない炒め物や煮物、味噌汁、白ごはん、ちょっとしたおかずが並び続けた。

幸いにして、そんなメニューが続いても誰も文句は言わなかったし、それが当時の私の精一杯だった。でも、私がしなければ誰も食事を作らない。

食べなければ生きていけないという以前に、料理は家の中の居心地の悪さを少しでも緩和するためのものだった。私がそれまで食べてきた料理は愛情から作られたモノではなかったし、私が料理をしていたのも、愛情が理由ではなかった。

高校卒業後は県外の大学に進学したため、親元を離れ一人暮らしを始めた。学生が節約のためにできることは限られている。自炊をするか、食事を抜くか。私は後者だった。それまでの1日3食から1日1食にしたところで、なんの問題もなく大学生活を送れた。

当然のように料理もしなくなり、たまに買い貯めるスーパーのお惣菜やお弁当、コンビニのおでん、肉まん、パン、友達と行く外食が私の食生活を支えた。冷蔵庫にケチャップとマヨネーズしか入っていない私、ビールとタバスコしか入っていない主人公、本を入れている真島。いい勝負だ。いや、真島には勝てない。

そして実家を離れていた期間、別に私が料理をしなくても家族は壊れなかった。私の代わりとなったスーパーのお惣菜やインスタント食品は、私よりもずっとスマートに食事にまつわる家族仲の悪さを和らげた。

私は、母の「ずっと私が家族のために作っていた」という言葉や食事が作られていない時の両親の不機嫌さを見て、誰かが料理をしなければと思い込んでいたのかもしれない。(もし私が料理をしなければ、早々に家族は壊れていたかもしれないが)

またその頃になると、こんなに仲が悪いのに、家族であり続ける必要はなかったのではと、家族仲に延命措置を施すような料理をしていたこと自体を後悔することも増えた。

要は、必要のない食事のための、そして取り持つ必要のない家族のための料理に、高校時代の貴重な時間を費やしていただけだったのだ。なんて無駄なことに一生懸命になり、時間と労力を割いていたのだろう。料理が心底嫌いになった。

必要に駆られて少しは料理をするようになったのは、就職後も続けていた一人暮らしでのことだ。食べないことが主流の大学時代の食生活のままでは、朝から晩まで神経が張り詰めている社会人生活に支障を来たしかねなかったし、外食に頼ってばかりでは、新社会人の財布などすぐに空になってしまう。

最寄りのスーパーに車で行って食材を調達し、スマホでレシピサイトを見ながら料理をできるようになったという環境と時代の変化もあり、相変わらず料理は嫌いではあるけれど、台所に立つ回を重ねるごとに苦手意識は薄れた。高校時代よりレパートリーが増え、作業も早くなり、料理に割く時間も減った。

料理ができると自信満々に答えられるわけではないが、全くできないわけではないという自己評価だ。

同じような料理の腕の友達と、互いの家で遊ぶついでに簡単な料理を作る機会が増えたのもこの時期だ。「何食べる?」と言って分担作業で作るパスタ、お好み焼き、簡単なお菓子。基本的には料理が嫌いだが、この時ばかりはイベントのようで楽しい。

私が自分のために作る料理は、必要に駆られてや、出来合いのものを買いに行く時間の削減と節約意識からだったので、料理を楽しいと思う機会を作ってくれた友達にはとても感謝している。

その後、高齢のため一人暮らしが難しくなった母方の祖母が実家で暮らすことになった。それと同時に、私も実家に戻ることにした。相変わらず離婚しないのが不思議な仲の両親と祖母という3人でうまく暮らしていけるとは思えなかった。また、親の面倒を見ないといけないという義務感から祖母を呼び寄せたのであろう母が、その後の祖母の生活を丁寧にサポートをするのか不安だった。

弟は県外の大学に進学して家を出ていたので、父、母、祖母、私の4人暮らしが始まった。

この祖母は、家のことで手一杯だった高校生だった私に「かわいそうに」と言って度々新幹線の距離を往復し、月に数日泊まり込んでは料理や家事をしてくれた。その頃は健在だった祖父との生活もあったのに。

その間の料理からの解放はもちろん嬉しかったが、私の状況を気にかけてくれて、精一杯のことをしてくれる人がいるということが、当時何よりの支えとなっていた。

そんな祖母は、料理は愛情だと思っている節がある。遠方から料理を作りにきてくれただけではなく、家に行くと必ず美味しい手料理を振舞ってくれたこともあり、心から誰かのために料理をしていたから、多分そうだ。直接聞いたわけではないけれど。私が料理=愛情ではなくても、愛情を理由に料理をする人もいると思えるのはこの祖母のおかげだ。

実家に戻ると同時に、案の定料理は私の義務になったのだが、祖母に対しては愛情を返すという理由で料理をしている。祖母が愛情だと思っている料理をすることで、私が祖母に向ける感謝や愛情を分かりやすい形で示せるのではないか。そう思って噛む力や飲み込む力の弱くなった祖母のためになるべく噛み切りやすく、柔らかい食事を作る。近所のスーパーのお惣菜はおいしいけれど、固いものもあるから。両親の食事も一緒に作るが、ついでだと思っている。

料理をする理由には義務、節約、楽しみ、色々あって、愛情もそのうちの1つなのだと思う。一方、愛情にも一緒に美味しいものを食べに行くとか、言葉とかがあって、色々な表し方の1つが料理なのかもしれない。きっと人それぞれだ。誰に向けて作るかやその時々の状況によっても「料理は〇〇」は変化する。

私の中では決して「料理は愛情」ではない。少なくとも、私の日々の料理は純粋な愛情からではない。料理嫌いも相変わらずだ。でも、料理を愛情だと思って私に作ってくれた人に、分かりやすい形で愛情や感謝を表すための手段にしている。

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