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幸福の欠片を手繰り寄せる③母と私

泣き疲れてウトウトして、目が覚めてまた泣く。
そんな事を繰り返してどうにか朝を迎え、鏡に映る自分の顔の酷さに驚く。
4月23日。今の状態の母はもう居なくなるかもしれない。
病院に連絡すると、今日は何も予定など入っていないとのことで急遽外出の許可をもらう。
予告なしで病室を訪ねたので何かあったのかと母は驚いていたが「仕事の打合せが明日になったから、夕方まで外出しよう」とごまかした。
車に乗り込むと嬉しそうにしている。

自宅に帰る途中、いつも寄っているスーパーで母の好物の刺身を買う。一緒に食べようとケーキも買った。
本当はケーキ屋さんでモンブランを買ってあげたかったけれど、自宅に連れて帰るまでの時間がもったいない。
自宅に着くと、早速自分の部屋で飼い猫(ルル)と遊んでいる。
その姿を動画に撮る。2人で写真も撮った。

副作用でおそらく髪の毛は抜けてしまうだろう。
この頃、母の髪は顎くらいまでの長さがあった。もう一度同じ長さになることはないかもしれない。
だから「今の状態の母が居なくなる」と思った。
お気に入りのシャンプーで洗って、髪をとかして、いつも身なりをきれいに整えていた母だから、髪が抜けることはストレスになるはずだ。
その時をどう支えていけばいいだろうか。
今日の日を振り返ることがあるかどうかわからないけれど「今の母」を写真に残しておきたかった。

たいした痛みもなく食欲もあって、神経難病の不自由さはあるがそれ以外は何も変化がないためだろう。
今日も母は「本当に癌なんかねぇ?」とつぶやく。
絶妙な奇跡とも言えるバランスで、いま母の体はどうにか動いている。
抗がん剤を投与するという事は、その均衡が崩れることを意味する。
完治はない。延命のために唯一残された治療がそれだ。
母の小さな体で耐えられるのだろうか。
副作用は激しく出るのだろうか。
どのくらい延命できるのだろうか。
次々と不安が湧き出てくる。

抗がん剤治療がどういうものか、母にゆっくり話をする。
こう言っては身もふたもないけれど母はあまり賢くない。
賢くないと言う表現は適切ではないが、難しいことを紐解いてゆくような回路はどこかに置き忘れてきたのだと思う。
病識も乏しかったので、膵臓癌の末路を詳しく知らなかったのは助かった。

「難しいことは何も考えなくて大丈夫だよ。先生が代わりに考えてくれるからね」と言うと
「そうだねぇ~」と無邪気に笑っている。私が好きな母の笑顔だ。

用意した昼ご飯は全部食べてくれた。
「お昼なのにお刺身食べていいのかな~」と嬉しそうにしている。
今の状態でこれだけ食事が取れていることが、いま母に起きている奇跡だ。

16時頃にはケーキも食べる。
「こんな時間にケーキ食べたら晩ご飯食べられないね」とか「まぁまぁ美味しいね」とか、そう言うことを話していた。
スーパーの安いケーキにマンゴーなんかのる訳ないけど、オレンジ色の果物(黄桃だと思う)を「マンゴーおいしいね」と言って食べている(この辺りが何とも賢くない母らしいエピソードだ。)
なんでもいい。
これがマンゴーならそれでいい。
嬉しそうに笑ってくれているだけで全部正解でいい。

母の好きなサスペンスドラマを見ながら、いつものように過ごす。
病院に送り届ける時間は18時。どんどんその時間が近づいてくる。
このまま家に居たらいいのに・・・そんなことを考えていた時、不意に母が
「病気、頑張って治療するね」と言う。
その瞬間、いろんなことが頭の中を巡った。
治療じゃないんだよ
残されている時間が長くないかもしれないんだよ
髪の毛も抜けてしまうし、猫のヘアピンも付けられないかもしれない
なんで癌なんかなっちゃったんだろうね
悔しいね
私はとっても悔しいよ

巡った言葉はどれも口にしなかった。
「頑張ろうね。抗がん剤点滴したあとに体きつい時は、あぁ~薬が効いているんだなぁって思うといいよ」
涙を堪えてそう伝えると
「そうする。元気出た」と母はどことなく安心したように笑っていた。

玄関を出るとき母は何を思っていただろうか。
難しく考えない母のことだから、案外「あ~おなかいっぱい」って思っていたかも。
そうだといい。

天気が良かったので海側の道を通って病院へ向かう。
真っ青な海を眺めて、助手席の母は楽しそうにしていた。きれいな景色を見せてあげられてよかった。
そう言う日常の小さな幸福を、体がつらい時に欠片でもいいから思い出してほしい。
きれいな海が見たい
お刺身が食べたい
ルルと一緒にいたい
温泉に行きたい
もっと我儘な希望でもいい。つらくなった時に思い浮かべてほしい。
物分かりのいい母だけど簡単に諦めて、簡単に居なくならないでほしい。

時間通りに帰院する。病室まで付き添い、晩ご飯の手伝いを少しして病院を出た。
昨日帰る時よりも表情が豊かだった。ほんの少しだけ安堵する。
病院を出て目に入った夕日がきれいだった。
やり切れない気持ちが込み上げる。
私はまた、駐車場の車の中で大泣きした。


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