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世界史編:総撃墜数1万機以上!ルフトバッフェの叩き出した驚愕の戦果に迫る

 
 ルフトバッフェとは、ドイツ語で'空軍'という意味の単語です。

 
 舞台は1940年代―独ソ戦。ドイツのポーランド占領後、地理的にソ連と陸続きとなったために戦車や歩兵を使った大規模な陸上戦がロシア各地で展開されました。


 そして、陸上戦を優位に進めるにあたって独ソ両国が力を入れたのが空の支配です。分厚い装甲で敵の弾をガンガン弾いて戦場を暴れまわる戦車部隊も、空からの攻撃には歯が立たないのです。

 

 今回焦点を当てていきたいのが、そんな独ソ戦の激闘の中で輝かしい成果を挙げたドイツ空軍JG-52という部隊です。

JG-52のエンブレム

 JG-52(第52戦闘航空団)の主な戦域はウクライナ南部からロシア戦線の中央部(ベラルーシとロシアの国境付近)。独ソ戦が1941年6月22日に始まってわずか3カ月弱―1941年9月中にはすでに323機のソ連軍機を撃墜した記録があります。

航空団の構成

 ざっくり説明すると、当時のドイツ空軍では1個航空団=3大隊=9中隊となります。1個中隊はだいたい12~16機編成なので、JG-52総勢で124機となります。


 使用機は当時最新鋭のメッサーシュミットBF109。軽量小型の機体に高出力のダイムラー・ベンツエンジンを積んだ水冷V型12気筒レシプロエンジンを搭載。

 各国の主要自動車メーカーは大抵この時代戦闘機や戦車作っていました。

 

 ベンツ(独)は戦闘機、ポルシェ(独)マイバッハ(独)は戦車、ロールスロイス(英)は戦闘機、三菱、中島(今のスバル)は戦闘機。フォード(米)、フィアット(伊)だって…言い出せばキリがありません。


 超高級ラグジュアリー・スポーツカーと戦闘機・戦車の共通点とは…高出力のエンジンが求められることです。戦闘機はとにかくスピード、戦車は何十トンの大重量を動かすだけの余りあるパワーがなければただの鉄の塊になってしまいますから。


 大戦中に高度なエンジン開発のノウハウがあった軍需企業は戦後、自動車産業で大きな存在感を放つようになります。2000~3000馬力級のエンジンを作りまくってた会社がスポーツカーを作るのは、ある意味当然の流れかもしれません。


ドイツ空軍の戦術

 先ほどの資料でも書かれているように、ドイツ空軍戦闘機部隊の最小単位は2機編成のロッテ。通常はロッテ×2の1個小隊(シュヴァルム)で行動するのが普通でした。

 片方のロッテ①(2機)が上空からの一撃離脱攻撃でソ連軍機の集団を攻撃している際、もう1組のロッテ②は上空で待機。攻撃を終えて上空に戻ってきたロッテ①を確認後、交代で②が攻撃を開始し、ロッテ①は援護に回るという戦術。

 攻撃中のロッテは背後を気にせず戦い続けることができるので、結果的に戦果と生還率が大きく向上することになりました。


 ひらひらと緩急つけて大空に複雑な飛行機雲を作って戦う「格闘戦術」に対して、エンジン全開で敵編隊に突っ込んで相手の隙を突く「一撃離脱戦術」の方が、攻撃側の優位性が決まっている分パイロットの負担や技量にも差が出にくくなります。


 この画期的な戦術を生み出したのが、ルフトバッフェなのです。