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ジョーカーの感想(ネタバレあり)

イオンシネマ京都桂川。隣にいた「DCの映画だから」という理由だけでノコノコ来たと思われる高校生があまりにあんまりなジョーカーの生活にドン引きしてるのがヒシヒシと伝わってきた。

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今回はオープニングにいつもでてるDCのロゴアニメが無かった事からも分かるけどDCEUとは別物の映画。そっちのジョーカーはスーサイド・スクワッドにちょっと出てたジャレッド・レト版の筈だけど元気にしてるかなぁ、、、

ジョーカーと言えば、まあジャック・ニコルソン版も印象的だし、その後のダークナイトのヒース・レジャー版でアメコミをよく知らない人にでも決定的に認知されたキャラクターだと思う。

僕自身も一番馴染みがあるのはヒース・レジャー版で特殊能力無しでバットマンを追い詰めていくのがとても魅力的に感じた。

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ただ今回のホアキン・フェニックス版はヒース・レジャー版と真逆のアプローチのジョーカーと言っていいと思う。
ヒース・レジャー版が人々の心に住む悪を引っ張りだそうと誘惑する為だけに存在している寓話的な悪魔の様なキャラクターだったのに対して、ホアキン版はどこまでも人間的で、どういう出生の人で何故悪に堕ちていくのかを丁寧に描いていく。

まずジョーカーことアーサーが、社会的にどの位底辺にいるのかということが描かれていくのだけど、職場の人間には小馬鹿にされてるし、外に出ればピエロ姿でも冷たくされ、素の状態だと気持ち悪い精神異常者、憧れのコメディアンにはTVを通じて晒し者にされ、終いには信じていた母親こそが全ての元凶だと分かる。
まさに「世の中VS俺、連戦連敗」というキャッチフレーズがピッタリくる感じ。

母親のせいとは言え狂っていく彼の目線でしか語られないので観てるこちらは居心地悪くなるのだけど、同時に彼が銃を手に入れた事をきっかけに自分を縛る枷を一つずつ壊していく様子が爽快でもある。

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象徴的に出てくる長い階段。最初の方で世界に打ちのめされ重そうに登っていた彼が、ついにジョーカーに変貌して踊りながら軽やかに降りていくシーンの美しいこと。文字通り彼が悪に堕ちていくのが見事に表現されていてとてもカタルシスがある感動シーン。

演じるホアキン・フェニックスも相変わらずの演技力で当然の様にこういう静かに狂気に目覚めていく役やらしたら今ハリウッドで右に出る人いないだろうな。
去年見た「ビューティフルデイ」の孤独な殺し屋役が熊の様なむっちりした体で「確かに実際に強い殺し屋ってこれくらいの体格かもしれない、、、」という説得力が半端じゃなかったけど、今回もガリガリの体から役に魂込めてる感じが凄まじい。
あの靴をギュウギュウやってる細すぎる背中を観ているだけで不安な気持ちになった。
しかし「ビューティフルデイ」から今作までそこまでめちゃくちゃ期間あったとは思えないしあんまり無理な肉体改造は心配になるのでやめて欲しい。
長生きしてもっと変な映画に沢山出る事をファンとして心の底から期待しているので。

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バットマンシリーズの繋がりに関しても見事な提示の仕方だと思う。
何度もバットマン映画で描かれていたウェイン夫妻の死に関しても全く違った見え方がした。これまでの作品で描かれてきたトーマス・ウェインという人物の偽善性が浮かび上がるし、確かに殺した側から見りゃふざけんな金持ち!って気持ちになってしまっているのが怖い。

後のバットマンことブルース君の子役チョイスも絶妙で全然感情が読めないのがいい。
彼もラストのあの瞬間から地獄のヒーロー活動が始まっていってしまうのかと思うとなんとも切ない。
続きは作る気ないと監督は言ってるみたいだけどあの後バットマンとしてアーサーの前に対峙した時どんな事になるのか想像していくのが楽しい。

あと舞台であるゴッサムシティが昔だったら「本当どうしようもない街だなぁ」と流して観れたのが、今回は完全に弱者側の目線になる事で「あれ?ここの状況めちゃくちゃ今と地続きじゃねぇか、、、」とハッとさせられた。

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暴力描写も見事。残酷な描写がある訳ではないけどアーサーが人を殺すタイミングが観てるこちらからすると突発的で毎度思わずビクッとなる。
最初の電車での殺人シーンから銃を撃つ間が急で、思わずビクッとなって普通に怖かった。
隣の高校生3人も反対側5つ席を空けた所に座っていた女性のお客さんも僕の列にいた全員がビクッとシンクロしたので、演出がめちゃくちゃ上手いと思う。
お酒持ってきた同僚を殺す所だけ銃じゃなく刃物使って殺してたのが「あ、こいつ、もう何使っても人殺せるようになっちゃったなぁ、、、」と完全にあっち側に言った感じがしてゾクッとした。
その後の小人症の人が鍵開けれないから開けてあげるジョークがヤバくて最高。

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ジョーカー憧れる擬似的な父親としてデニーロを持ってくる辺りに多重的な味わい深さがある。要はタクシードライバーやキング・オブ・コメディなどのスコセッシ作品の精神を継いでいると宣言しているキャスティングで、そんな彼をしっかり殺して映画が終わるのがジョーカー的には父殺しによる父離れだし、映画としてもスコセッシの映画魂は継承していくぜ!という宣言にも見えるし多重な感動がある。

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ただ個人的にはジョーカーというキャラクターをここまで人間的な存在として描いてしまう事に違和感もあって、僕は正直彼に嫌悪みたいなものを一切感じず観終わってしまったし、映画自体が賞レースに間違いなくノミネートされる様な高尚な雰囲気も感じてしまい、僕の好きなヴィランとして魅力的なジョーカーという要素は今作にはなかった。
まあもちろんアメコミ映画も多様な作品がある方が良いし、一本の映画として恐ろしい完成度なのであんまり気にする事ないのだけど。

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