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これは駄文です。

清涼飲料水やお菓子のラベルに書いてある文字をひたすら凝視するという行動。これは「沈黙」という状況が気まずいと感じてしまう程度の相手としばらくその空間に共存しなければならない時の「やり過ごし法」としてよく用いられる。
自分もよくやる。
確かアメトーーク!の人見知り芸人でも誰かが言っていた気がする。
スマホを見ていればいいじゃないかというツッコミもあるかもしれない。スマホをいじるのが失礼か失礼でないかの判断基準となるボーダーラインが曖昧な相手の場合に使うことがあるかもしれないよ。ということだけ申し添えておく。

最近は、特定保健用食品やら機能性表示食品だの健康志向の食品が増えてきて、おそらくそのカテゴリの製品に書かなければいけない事項というのがあるのか、ラベルに書かれている文字の量が明らかに多い製品が増えてきた。これは誰に伝えたい情報なん?と思える内容が、極小サイズの文字pt数でぎっしり書かれていることがある。これは手持ち無沙汰の時間を無心で消費したい時に都合がいい。よりラベルを眺めていたいのであれば、一般飲料ではなく特定保健用食品を持参するのをおすすめする。たぶん健康になれるし。

ここで注意したいのは、ラベルの文字を読んでいると見せかけて、全く頭に入っていないということである。文字列を記号として認識しているだけの無味無臭、人畜無害?の妙な時間。脳内のニューロンたちも総じて静まりかえっていることだろう。

その食品に含まれる原材料、栄養成分、摂取する上での注意。
これらは、知りたいと思う人にとっては大切な情報だろう。しかしながら、特段知りたくない人にとっては、無の情報がひたすら頭の中に流れ込んできて時間・身体感覚を喪失させるという意味で、五条悟に「無量空処」を喰らっている状況とさして変わらないといっても過言ではない。(ひたすら過言)

こいつは何を言っているのか、と思っているそこのあなた。
だから言ったじゃないですか。
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