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Twitter、Xになったってよ。

つい先日、こんな投稿をした。

TwitterというSNSで生じた<API制限>という歪み。
これは序章に過ぎなかった。

世界規模で混乱を巻き起こしたお祭り騒ぎの後に、さらなる異世界への扉が開かれることなど誰が知り得ただろうか。
(実際のところ噂にはあったようですが…)

Twitterの消滅と、”X”の爆誕である。

X、何を隠そうTwitterの後継となるSNSの名である。
イーロン・マスクによって(想像だがおそらくほぼ独断専行で)生み出された(のではないかと思われる)この新たなSNSは、先般の<API制限>に乗じてできたMeta社の「スレッズ」などもう遺構であるかのように、話題性の波で全てを掻っ攫っていった。

X。
実に汎用性の高い文字である。
まず思い浮かぶのは、数学の代数的な使用法。転じて、具体的な固有名詞を隠して何かを表したいときにも使うことがある。
これだけでも、世の中に「X」を使った資料がどれだけ溢れているかは想像に難くない。
(検索性とか大丈夫なんでしょうか…?)

さて、TwitterからXになって何が変わったのか。
非常に難しい問題である。
特に何も変わっていないように感じられるからだ。
もちろん、Twitterでおなじみの「青い鳥」さんはいなくなってしまって寂しいが、それが「X」というセンスのないロゴに変わっただけである。

ツイートをポストと言ったり、リツイートをリポストと言ったり、呼称の面で何かしら変わったようだが、できること、できないことは基本的に同じままで変わっていない。
果たしてこれは本質的に「変わった」といえるのだろうか。
変わらないSNSをインストールしたスマホを片手に、今日も今日とて意味のないことをいつも通りつぶやくだけである。

Xの誕生により、サンフランシスコのX社の屋上に「X」の文字をかたどった巨大看板が建てられ、断続的にとてつもない光量を発して苦情により撤去されるまでの一連の出来事は、もはや様式美すら感じられた。
本当に何がしたかったのだろうか。

これから抜本的な変容を迎えるかもしれないX。
成り行きを注視したい。




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