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軽症患者を救急車が断れば第七波の救急医療崩壊は回避されるのか?

最近TVで、
「軽症で救急車を呼ぶ人が多いから救急医療が崩壊している」
という論調のコメンテーターの発言を聞くことが増えてきた気がします。
これって果たして本当なのでしょうか??
(ここで言う救急医療とは、コロナ以外の通常の救急医療のことも含めています)

「軽症で救急車をタクシーがわりにするな」
これはその通りだと思います。
コロナで言えば、
「微熱が出たから検査してほしいけど、受け入れてくれる医療機関が見つからないから救急車を呼んだ
みたいな話を聞くことも多いですが、こういう利用が救急車に負荷をかけているのは間違いなく、絶対にやめていただきたいことです。

ただ、実は、軽症で救急車を呼ぶ多くの人は、確信犯的に
「軽症だけど救急車を呼んでやろう」
とは思ってなくて、
「このままだとヤバいからすぐ病院行かなきゃ!」
または
「このまま家にいて大丈夫か分からなくて不安!」
と思うので呼んでるんですよね。

それにタダで対応してくれるのが、日本の救急車システムの素晴らしいところでもあるわけです。

さらに、救急車の搬送先病院も、軽症だったとしても普段ならどこかで受け入れてもらえるというのも、日本式救急システムの素晴らしいところです。

また、こういう形で、
「今は軽症やけど先々ヤバいかも」
という方の悪化を未然に防ぐことを可能にしている
のも、日本式の救急車と救急医療の超良い面だ、ということも忘れてはいけないですね。

ところが、欧米的withコロナでいくなら、こういう日本の良いところが揺らぐのも当然、と考える必要が本当はあるのではないでしょうか。

「あなたが重症と思っても、それは軽症ですよ」
「軽症の診療はしないので、悪くなったらまた連絡ください」
「救急車1回○万円かかりますよ」

という欧米式の救急医療に関する考え方を受け入れるのもセットでないと、ええトコ取りは物理的に不可能なわけですよね。

かつ、もう一つこんな問題もあるんです。

高齢者のコロナ死亡率を仮に0.2%とした場合、今は軽症でも先々500人に1人は死亡する可能性がある、という単純計算になります。
(もちろん様々な要素が絡みますので、実際はこんな単純ではありませんが)
もし救急車が軽症高齢者の搬送を全面的に断るとすれば、単純計算でその後500人に1人が亡くなることになるわけです。

反対意見もあるにせよ、欧米的withコロナの国ではこのリスクも社会が受け入れているのですが、日本はどうでしょう?
 
遠方で一人暮らししてる80歳の父親が、39℃の発熱で、何も食べれずぐったりしていると聞いて、救急車を呼んだのに、
「これは軽症で搬送できません。もっと悪くなってから呼んでください」
と言われるのを許容できる社会でしょうか?
(コロナでは、酸素が必要なければ全て「軽症」なのです)

それが許容できないと、「欧米的withコロナ」は単に問題の本質から目を逸らし続けるお題目に過ぎず、救急医療崩壊は波が高まるたびに繰り返される、というのが現場の印象です。

もちろん、医療の提供体制に問題がないのかと言えば、そうも思っていません。
また、
「軽症なのを分かっていて救急車を呼ぶな」
この啓発は継続的に行うべきです。


しかし、医療を受ける側の一般の方々の感覚が今のままである以上、
「軽症で救急車を呼ぶ人が多いから救急医療が崩壊している」
これをさらに言い換えて
「軽症で救急車を呼ぶ人がいなければ救急医療は崩壊しない」
というような単純な話ではない、というのが今回お伝えしたかったことです。

それと蛇足ですが・・。
確かに第七波では軽症の患者さんが多いのは事実です。
しかし、39℃が数日続いてぐったりしても、喉の激痛でお茶を飲むのが苦しくても、申し訳ないことにそれでも軽症です。
自宅で解熱剤を使いながら、がんばって水分を摂ってください、とお話しするしかないのが現状ですので、何とか感染爆発が早く終息することを祈っています。

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