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気管腕頭動脈瘻への「誤解」〜今さら聞けない在宅医療の基礎知識 Vol.3〜

先日までは3回に分けて、気管切開の基礎について説明してきました。
気管切開は、普段から小児在宅医療に携わる医療職にとっては接することの多い医療的ケアですが、そうでない方からは「呼吸はいのちに直結する」というプレッシャーで、どうしても怖がられてしまいがちです。

確かに、きちんと対応しなければいけないポイントはあるのですが、逆に、「何でこんな誤解が広がっちゃったのかなあ」と思うようなこともあったりして、必要以上に怖がられていることも否めないと感じます。
今回は、在宅医療の現場で関わる医療職以外の方、特に特別支援学校の先生などからよく聞く「誤解」について説明したいと思います。

なお、当面は無料記事として公開しますが、一定期間が経過したら有料記事に変更するかもしれませんので、ご了承ください。

【抜けて汚れた気管カニューレを入れると感染を起こして危険?】

気管腕頭動脈瘻の話の前に・・。
これもよく言われます。
学校で気管カニューレが抜けた場合に、汚い気管カニューレをもう一度入れると感染を起こすから危ないので、再挿入はできない・・。
こう言われることが何度もありました。

しかし、これはある意味では大きな誤解です

確かに、汚い気管カニューレを入れることで感染のリスクがないとは言えませんが、そんなリスクよりも、気管カニューレが抜けた状態が続いていることの生命を脅かすリスクの方が、圧倒的に大きいのです。

中には、気管カニューレを使わない気管切開の方や、抜けてもすぐには問題にならない方もいます。
しかし、気管カニューレが抜けるとすぐに気道が狭くなってしまい、窒息の危険が迫る方は少なくありません。
こういう方では、感染を起こすリスクよりも、窒息のリスクの方がとんでもなく危険ですので、感染を心配して気管カニューレを入れるのをためらうというのは大きな間違いです。

ちなみに、すぐに手元に新しい気管カニューレがあるならば、抜けたものを使わずに新しいものを入れてあげれば良いでしょう。
もし新しいものが手元にない場合には、抜けた気管カニューレに付いている砂やゴミなど目に見える汚れを水で洗い流したり拭ったりして、再挿入の後に病院へ搬送すれば良いでしょう。

最悪、洗ったり拭ったりできずに多少汚れた気管カニューレを再挿入することになったとしても、窒息してしまうよりは気道確保されている方がよほどましです。
感染症や気道異物の治療なら、後からできることがありますが、窒息して低酸素状態が長時間続いてしまうと、それは後から元に戻すことができませんので・・。

【気管カニューレを入れる時に気管腕頭動脈瘻ができると大出血する?】

そして、こちらが今回のメインテーマです。

大阪で特別支援学校の先生とお話ししていると、かなり多くの方から言われます。
それどころか、喀痰吸引等指示書のフォーマットにも、気管カニューレを入れ直す際に腕頭動脈損傷(気管腕頭動脈瘻の別称)を起こす可能性の有無を記載する欄を設けられている学校まであったりします。

気管切開の合併症の中で、気管腕頭動脈瘻はまれではあるが危険度が高いということが、これだけ知られているのはある意味では良いことかも知れません。

しかし、「気管カニューレを入れる時に気管腕頭動脈瘻ができる」というのは完全に誤解です
気管カニューレを入れる時に何かヘタな操作を行ったから気管腕頭動脈瘻を生じて大出血するのではなく、逆に、どんなに上手に操作をしていても気管腕頭動脈瘻が起きてしまうこともあるのです。

ではいったい、気管腕頭動脈瘻とは何なのでしょうか?

<気管と腕頭動脈の位置関係>

毎度おなじみ、まずは解剖学的な位置を確認してみます。

※ 身体を正面から見た図なので、図の左側が身体の右側、図の右側が身体の左側になります

絵心がないので、細部にツッコミどころはいっぱいある図ですが、イメージとしてざっくり捉えてください(^^;)

腕頭動脈とは、心臓から出たばかりの血管である上行大動脈の、一番目の枝として分岐している動脈で、気管の前を横切る形で血液が流れています
腕頭動脈はその先で、右腕に血液を送る右鎖骨下動脈と、頭部に血液を送る右総頚動脈に枝分かれします。
かなり広範囲へ血液を送る動脈ですので、腕頭動脈の中を流れている血液量は多いのが想像できるでしょうか。

ちなみに、左の総頚動脈と鎖骨下動脈は、大動脈から直接枝分かれしています。
心臓が身体の左側に寄っていて、大動脈弓も身体の左側にあるため、右側の腕と頭に血液を送る血管は、左側に送る血管より長い距離を走らなければならず、こんな左右非対称な形になっているんですね。

そして、腕頭動脈と気管との位置関係を、身体の横側から見て示したのが上の図です。
この図の角度から見ると、腕頭動脈は手前側から奥の側に向けて血液が流れる向きにありますので、輪切りのようになっています。
気管のすぐ前側を腕頭動脈がクロスするように通っていますね。

では、気管切開術後に気管カニューレを留置するとどんな位置関係になるでしょうか。

このように、ちょうどカニューレの先端近くの前側に腕頭動脈があるんですね。

<気管腕頭動脈瘻とは?>

「気管腕頭動脈瘻」とは読んで字のごとく、気管と腕頭動脈の間に瘻(穴)ができた状態のことです。

確かに上の3つの図を見ると、
「気管カニューレをヘタに入れると、気管を突き破って気管腕頭動脈瘻を起こしてしまうんじゃないか?」
と心配になる気持ちも分からないではありませんね。

でも、安心してください。
気管の壁は、そんなに簡単に穴が開くようなものではありませんので、気管カニューレを入れる操作だけで気管腕頭動脈瘻ができてしまうようなことは、まずないと言い切れます

<いつ気管腕頭動脈瘻ができるのか?>

では、気管腕頭動脈瘻はどうやってできるのでしょうか。

・・実は、気管カニューレ交換などとは関係なく、予期していない時に突然できてしまうのです。

気管と腕頭動脈は、いかに近くでクロスしているとは言っても、気管の壁と血管の壁の両方がそれぞれを守っていますので、普通ならかなりの強度の仕切りがあると言えます。
しかし、長期間気管カニューレを留置した状態の場合に、カニューレの先端やカフが気管の壁の同じところを刺激し続けると、その部分に肉芽を作ったり、炎症を起こしたりして、正常な壁の構造が壊れていくことがあります。

これは、本当に少しずつ、少なくとも月単位、多くは年単位で時間をかけて起こる変化です。
知らず知らずのうちに、正常な気管と血管の壁が徐々に弱い組織に変わっていき、ある時に弱い組織が壊れて穴ができると、気管と腕頭動脈が交通してしまう状態になり、いきなり血液が気管内に吹き出てしまう・・。

これが気管腕頭動脈瘻なのです。

腕頭動脈と気管の間に穴が開いてしまうと、大量の血液が気管内に吹き出てきます。
こうなると、救命困難となる可能性は高いので、とにかく大切なのは気管腕頭動脈瘻を起こさないことに尽きます。

<気管腕頭動脈瘻の予防法は?>

まず、なるべく腕頭動脈の位置に近いところに、気管カニューレの先端やカフが当たらないようにすることです。

ここで注意が必要なのは、もともとそうでもなかったのに、成長や側弯が進むことで身体が変形して、先端が腕頭動脈に徐々に近づいていく人がいることです。
また、子どもの場合には、成長と共に気管カニューレのサイズを変更することもありますので、それによって気管カニューレ先端の位置が変わり、腕頭動脈に近づくこともあります。

また、気管腕頭動脈瘻ができるのを予防するには、気管切開の管理そのものが大切です。
気管カニューレの先端が、気管の前の壁に強く当たる角度にならないように調整したり、カフ付きカニューレの場合にはカフが気管に当たる部位や強さを確認することで、発症リスクを下げることができます。

そして、気管の壁が肉芽などの弱い組織に置き換わっていないかを、ファイバースコープなどでチェックしてもらうことも、リスクの早期発見につながります。
当クリニックで気管カニューレの管理を行っている子どもでは、原則として半年から1年に1回くらいのペースで、病院の耳鼻咽喉科や小児外科などの先生に診察してもらうようにしています。

なお、大出血を起こす前に、「先行出血」と言って、気管内に血液が少し出てくる現象が起こることがあります。
真っ赤な血が気管内から出てきた場合、気管腕頭動脈瘻の前触れの可能性がありますので、出血が少量でもすぐに医療機関に相談するか、救急搬送を考慮してください。
ピンク色の薄い血の混じった痰の場合には、先行出血である可能性は低いですが、やはり医療機関へ報告、相談していただいた方が無難です。
どちらの場合も、すでに入っている気管カニューレは抜かない方が安全です。

【まとめ】

今回は、気管切開の方を支援する方が一番怖がられる、
「気管カニューレが抜けた時にどうしよう・・」
という不安にまつわる誤解について説明しました。

ここに書いているのはあくまで一般論でのお話ですので、個別の患者さんの状態によって、少しずつ気を付けるポイントは異なります。
ぜひ、主治医の先生から患者さんの個別性について確認して、どういうことに注意を払うべきか、逆にどこまではあまり心配しなくて良いのか、把握してくださいね。

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