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【無料】【努力は才能を超えられる】「X」の過去①〜大学受験編~

謎のナンパ師「X」(@NANPA4X)です。


既婚者ナンパ師です。


今回は、ぼくの過去の話をします。

なぜ今回、いきなり過去の話をしようと思ったかというと、

・努力が報われず悩んでいる人
・しっかり成功したくて頑張っている人
・平凡な毎日の繰り返しに飽き飽きしている人


に、ぼくの過去の話をすることで、その悩みに寄り添えるかなと思ったからです。


この記事を最後まで読んでもらえると、

ぼくのことがある程度イメージできると思いますが、


ぼくは、仕事も恋愛も底辺スタート。

いわゆる、「成り上がり型」の人間です。


人よりも秀でた才能があるとすれば、「特に嫌いな食べ物がないこと」くらいだと思います。


ですが、自分の人生を今では誇りに思っています。


それは、

『才能が無くても、“努力量”と“努力のベクトル”次第で、大多数の人間が羨む暮らしは手に入れられる』


これが、ぼくが生きる上で自分を心から支えている「価値観」です。


実際に、そう信じてます。


もちろん、

底辺の頃の自信は、

「根拠なき自信」でした。


周りから「お前には無理だ」とバカにされました。


悔しくて、悲しくて。
けれど、結果では何も語ることのできていない自分を責めた夜もありました。

もちろん、この世の中には、
才能、環境が必要なものもあります。

・日本の総理大臣になりたい
・イチローのようにメジャーで結果を出したい
・1000億円の資産を築いて美女たちに囲まれたい

こうした願いが努力で叶うとは僕は思いません。


ただ、現状のぼくレベルのスペックであれば、

適切な努力次第で、「誰もが到達できる」と考えます。


これからぼくの「人生」を、

この「ストーリー」を赤裸々にお届けします。



どうかこのストーリーに触れて、


・僕もやってみよう

・今は辛いけど、もう少し頑張ってみよう


そう思ってくれる人が、

1人でも増えれば嬉しいなと思っています。


では、さっそく始めます。

ぜひ読んでください。


●●●●● 挫折 ●●●●●



不合格でした。



大学受験。

京都大学を受験しました。
地元では、いわゆる進学校に通っていました。

周りも、京大、阪大、神大など
有名な国公立大学を受験していた。


当時の志望動機は、

「どうせなら一番になりたい。その方がカッコ良いから」


そんな流れで京大受験を決意しました。

自分なりに一生懸命、勉強しました。


しかし、結果は不合格。
それもあと数点足らないなんてものではなく、
合格者最低点から150点以上も足りませんでした。


絶望でした。

一生懸命、遊ぶことも我慢して、努力した全てを否定された感覚。
もはや僕の過去は、努力と呼ぶに値しないと突きつけられた感覚。



悔しかった。



応援してくれた母に申し訳なかった。

それ以外の感情は見当たらなかった。


当時、家族仲も良かったとは言い難く、

ほぼ毎日、

夜通し勉強している僕の部屋に聞こえるくらい、両親が揉めていた。

どうやら、
ぼくの大学受験が終わったら離婚するらしい。


けれど、
ぼくの大学受験は終わらなかった。


幸か不幸か、
両親の離婚は先延ばしとなった。


あの夜以上に、
あんなに泣いた夜をぼくは知らない。


ぼくは浪人することになった。


これが人生で味わった「挫折のはじまり」だった。


● 100万円のために土下座した夜 ●



浪人することが決まったぼくは
宅浪か予備校に行くかの選択を迫られた。


正直、どうしても
予備校に行きたかった。


自分なりに頑張って勉強しても
まったく歯が立たなかった過去。

その事実を考えると
宅浪しても受からないことは目に見えていた。

ぼくは父にお願いすることにした。


「予備校に行きたいので100万円出してください。」



生まれてはじめて父に土下座した。


父は、不動産関連の会社を経営していた。

子供の面倒は母に任せきり。
お金は沢山あるはずなのに、必要最低限しか渡さず、全て母に押し付けていた。


今ならそれも「経営者っぽい感覚」だなと分かるが、当時は、父の金銭感覚には疑問だった。


そして、僕のお願いに対しても、

「ちょっと考えさせてくれ」

と、父は、すぐには出してくれなかった。

その夜も父は家には帰ってこなかった。


ーーー



数日後。


夜。


ぼくは部屋に戻って、

悶々とした日常を送っていた。


両親は、また揉めていた。


「お前がしっかり見ておかないから落ちたんだよ」
「うん、ごめんなさい」


ぼくは、よく聞こえる耳を呪った。


自分のせいで
大好きな母が父に謝っていた。

18歳そこそこになって、
口先では良いように言うくせに


結果では何も語れず
どうしようもない大きな子供だと痛感した。


結果、

父はしぶしぶ、予備校費用を捻出してくれた。


過程はどうであれ、
父には心から感謝している。



こうしてぼくの「負けられない戦い」がはじまった。



しかし、、、



(つづく)




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