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自己紹介、わたしの人生

毎日投稿6日目。
今日は簡単に自己紹介をしたいと思います。

生い立ち

まずは簡単に、生い立ち?略歴?です。

○25歳 関西育ち

○小・中・高校
地域の公立校に通う
ピアノや吹奏楽に打ち込む
生徒会長や部長などを務めて、いわゆる優等生を生きる

○大学
前期の第一志望不合格
後期入試で教育・保育・福祉系の大学へ
社会福祉士と保育士資格を取得
この4年が私の価値観や人生を変える

○社会人
とある市町村に福祉職採用で入庁
ブラック部署に配属され、2年目〜3年目にかけて10ヶ月休職
復職し、4年目を少し過ぎたころ退職

○現在
大学院生として、哲学や人間学など人間科学系分野の研究室に在籍中

こんな感じで、今は論文執筆のために、いろいろ本を読んだりしつつ、心身のエネルギーを溜め中です。
まぁ割と平凡な?人生でしょうか...??(平凡とは)

大学で広がった私の世界

福祉って一体なんなんだろう、と語り合う教室

ずっと優等生として、「賢いね」「なんでも出来るね」「すごいね」と言ってもらうことで、自分の存在を確かめていた、危なっかしい中高生時代。

そんな自分を根本から覆したのが、大学の4年間でした。
正直、第一志望でもなく、受験の時に初めて訪れたくらい、ノーマークな大学だったけど、結果的にここに導かれたことは、本当に人生の大正解だったなと思います。

福祉には、well-being→より「よく」生きる、というフレーズがあるけれども、それまでの私の「よい」は、
=相手に期待される姿を現す私 
でした。

でもそれって、本当に「私」なの?
ただ、周りの評価や態度に怯える者なんじゃないの?
「よい」「豊かさ」それって何...

そんな問いを繰り返すうちに、

周りの目や規範に怯える必要はない
私は私であり、私の人生を生きていいのだ
ありのままの私を尊重して生きていきたい!

と気づくようになりました。
そこからはブーストが掛かったように、生きやすくなり、特に4年生の1年間は今までの人生で1番幸せな時間だったと思います。

自分で自分にOKをいえる人生
なんて素敵なんだ!と。

そして4年生、学生最後の3月、最後まで学び・感じたいと、NZにスタディーツアーに行ったことで、そういう生き方がどれだけ私を軽やかにさせるか、より実感しました。(トップの写真はNZのテカポ湖)

その人がその人らしくあっていい、
それぞれに自由に生きていい、
大きな自然と空の下で、のびのび暮らしていい

本当に満たされた気持ちで、社会に出ても自分らしく歩いていこう!と、卒業しました。

人生に苦悩はつきもの

しかしそう上手くはいかないのが人生。
社会人となってからは、どん底の3年間でした。

そしてまた、評価に怯え、社会の要請に応え続け、優等生の暮らしへと逆戻りしました。
軽やかに生きる感覚を掴みかけていただけに、ギャップが激しく、また、頭の思考を整理する時間と、実践する力量もなく、精魂尽き果て(←まさにこれ)、私は言葉どおり、体が動かなくなりました。

...この3年間をツラツラ語るには、まだ生傷すぎて、少し時間が必要ですので、追々にします。

ただ、最近救われた言葉は、V.E.フランクル『夜と霧』の言葉。

何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。
何人も彼の代りに苦悩を苦しみ抜くことはできないのである。
まさにその運命に当った彼自身がこの苦悩を担うということの中に独自な業績に対するただ一度の可能性が存在するのである。
V.E.フランクル『夜と霧』p.184

この言葉に、救われた自分がいました。
そう、この今の苦悩を、過去の苦悩を体験するのは、たった1人私しかいない。
苦悩があっていいのだ、と言ってくれている気がします。

苦悩や問い自体を引き受け、愛し、そして忠実に応えていく、それが生きるということなのではないか。

まだまだ人生は続いていく予定だけれども、
こんな人生最悪だ、意味がないわ
と放り出してしまわずに、
今ある気持ち、よろこび、苦しみ、向かってくる運命に、忠実に応えられる人でありたいなと思います。
そしていつかは、目の前にいるひとの、よろこびや悲しみも一緒に伴走して応えていけるような、温かい人になりたいと思います。

長くなりましたが、
わたしの人生、まだまだこれからです。

こんな私ですがよろしくお願いします(^ ^)

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