自己紹介、わたしの人生
毎日投稿6日目。
今日は簡単に自己紹介をしたいと思います。
生い立ち
まずは簡単に、生い立ち?略歴?です。
こんな感じで、今は論文執筆のために、いろいろ本を読んだりしつつ、心身のエネルギーを溜め中です。
まぁ割と平凡な?人生でしょうか...??(平凡とは)
大学で広がった私の世界
ずっと優等生として、「賢いね」「なんでも出来るね」「すごいね」と言ってもらうことで、自分の存在を確かめていた、危なっかしい中高生時代。
そんな自分を根本から覆したのが、大学の4年間でした。
正直、第一志望でもなく、受験の時に初めて訪れたくらい、ノーマークな大学だったけど、結果的にここに導かれたことは、本当に人生の大正解だったなと思います。
福祉には、well-being→より「よく」生きる、というフレーズがあるけれども、それまでの私の「よい」は、
=相手に期待される姿を現す私
でした。
でもそれって、本当に「私」なの?
ただ、周りの評価や態度に怯える者なんじゃないの?
「よい」「豊かさ」それって何...
そんな問いを繰り返すうちに、
周りの目や規範に怯える必要はない
私は私であり、私の人生を生きていいのだ
ありのままの私を尊重して生きていきたい!
と気づくようになりました。
そこからはブーストが掛かったように、生きやすくなり、特に4年生の1年間は今までの人生で1番幸せな時間だったと思います。
自分で自分にOKをいえる人生、
なんて素敵なんだ!と。
そして4年生、学生最後の3月、最後まで学び・感じたいと、NZにスタディーツアーに行ったことで、そういう生き方がどれだけ私を軽やかにさせるか、より実感しました。(トップの写真はNZのテカポ湖)
その人がその人らしくあっていい、
それぞれに自由に生きていい、
大きな自然と空の下で、のびのび暮らしていい
本当に満たされた気持ちで、社会に出ても自分らしく歩いていこう!と、卒業しました。
人生に苦悩はつきもの
しかしそう上手くはいかないのが人生。
社会人となってからは、どん底の3年間でした。
そしてまた、評価に怯え、社会の要請に応え続け、優等生の暮らしへと逆戻りしました。
軽やかに生きる感覚を掴みかけていただけに、ギャップが激しく、また、頭の思考を整理する時間と、実践する力量もなく、精魂尽き果て(←まさにこれ)、私は言葉どおり、体が動かなくなりました。
...この3年間をツラツラ語るには、まだ生傷すぎて、少し時間が必要ですので、追々にします。
ただ、最近救われた言葉は、V.E.フランクル『夜と霧』の言葉。
この言葉に、救われた自分がいました。
そう、この今の苦悩を、過去の苦悩を体験するのは、たった1人私しかいない。
苦悩があっていいのだ、と言ってくれている気がします。
苦悩や問い自体を引き受け、愛し、そして忠実に応えていく、それが生きるということなのではないか。
まだまだ人生は続いていく予定だけれども、
こんな人生最悪だ、意味がないわ
と放り出してしまわずに、
今ある気持ち、よろこび、苦しみ、向かってくる運命に、忠実に応えられる人でありたいなと思います。
そしていつかは、目の前にいるひとの、よろこびや悲しみも一緒に伴走して応えていけるような、温かい人になりたいと思います。
長くなりましたが、
わたしの人生、まだまだこれからです。
こんな私ですがよろしくお願いします(^ ^)
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