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かけられた言葉たち

今日は、
充実していて、楽しくて、
そしてとてもセンシティブ。

そんな1日だった。
今日はだだだっと思いついたことを書く。
ピアノを弾くように書く。



最近掛けられた言葉たち。

「大きなものに愛された経験があるかないかはとても大きい」

「僕とは相性が単に合わないのか」

「あなたは社会福祉じゃないと思う」

「石橋を叩いて着実に歩みを進めることで咲く花もある」

「軸を取り戻しにいくためでしょ」

「それは単に失礼」


泣く人、笑う人、黙る人、
自分の話をされるのが嬉しい人、
朴念仁かと思いきやとても繊細な人、
ずっと携帯を見つめる人、
お酒くさい人、


人間ってなんなんだ

そして私ってなんなんだ

何をどこまで追い求めて生きていくんだ

できない自分、やれない自分、

どこまで、そして何に、
私自身を賭けて生きていくんだ私は

何に愛されていて、何を愛していて、

何が心地よくなくて、
何が重荷なのか。

どうしたらお金が稼げて、
どうしたら好きなことができて、

どうしたら潰れなくて、
どうしたら成功するのか、

みんな道はどうやって歩いているのか
その道はどうやって決めたのか

導かれているのか
自分で決めているのか

好きなことを追っていいのか
合わないことに飛び込んでみて対話に努めるのか

一度恋人だった人は、もう人じゃないのか
出会う人はすでに決められているのか

偶然なのか必然なのか

どういう状態が大切にしているということで、
どういう状態が大切にしていないということなのか

人生分からないことばかり
決められないことばかり

大事にしたいことを大事にできることを、
大事にされる人生がいい

海が見たいし、人を愛したい

まっすぐに信じたい

信じることをも、疑わないといけないことは、
ずっと懐疑主義じゃないか

信じる内容は疑う必要があるかもしれないけど

信じることそれ自体は疑わなくてもいいんじゃないか

それもエゴで
それも危険なのか


眠りについたらこのまま起きなければいいのにと思う

でも楽しかったし、
楽しみなこともあるし、

生きるっていうのは

生きるってことか

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