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人との距離のはかりかた

先日、どこの誰かも分からない人のあるツイートを見かけて忘れていた感情が蘇ってきた。

会う度に積み重ねられていく嘘を見過ごして信頼できなくなり、他愛のない会話さえも飲み込めずしんどかった。友人だと思ってずっと関係を続けていたけれど、私、友人のこと嫌いだったんだって気付いてスッキリした。

フォローをしていない人だったので内容はうろ覚えだが、こういった内容のツイートだった。
まるで2年前の私が書いたかのような文章で、スクロールしていた手を思わず止めた。

私には高校時代から専門学生時代にかけて、クラスも部活も一緒だった“親友”がいた。

別に何か共通の話題があって通じ合ったわけではなく、いつも同じ時を過ごし色んな話をしていたから“親友”だと思っていた。
少なくとも私は。

彼女は他人よりも自分の事を優先する性格だった。多くの恋をする人で、同性からは良く思われないことを恐らく自分でも理解していたため自分のことを多くは語らなかった。
私自身も彼女とは恋愛観が全く合わなかったのだけど、自分に害がある訳ではないので何の疑いもなく関係を続けていた。

しかしある時から彼女に対して不信感を持つようになった。人づてに聞いた話やSNSで知ってしまったのだが、彼女は私とお付き合いしていた人ととても親しくなったらしい。それも度を越すくらいのものだったので驚いた。

別れているのでもちろんそれは本人たちの自由なのだが、それを私に言ってくれないことが当時は悲しかった。話してくれない理由を勘繰っては傷付いた。そこに深い意味はないのにね。

「親友だから何でも知ってる」、

そういう関係を勝手に望んでいた。

それから彼女は私に嘘をつくようになった。
彼女自身、嘘か本当か分からなくなり辻褄が合わなくなってきたのだ。
隠し事と言った方が正しいかな。
私が疑っていることもきっと気付いていた。
男女の友情は成立すると思うので、彼女のそれが友情だったのか恋愛感情だったのかは今も分からない。

周りの人との関係もあったため卒業までは我慢をした。結局最後は他愛のない話ですら疑うことが苦しくなって、不満を爆発させてしまい疎遠になった。

いつから親友のことを嫌いになったのかは分からないし、もしかしたらずっと信用が無かったのかもしれない。
本当に距離の測り方が下手だったと思う。

この出来事のあと、私は自分の心が狭かったのだとしばらくの間自分を責めていた。当時は大切な友人だったから。

しかし時間が経った今思うことは、それぞれ価値観は違えど、本当に大切な人は私の気持ちも考慮してくれるということ。

この事があってからは人との距離感に気を付けていて、無理せず好きな人とだけ会うことを徹底している。自分の気持ちをすり減らす必要なんてなかったのだ。

彼女はきっと今も自分を大事にしてどこかで生きていると思う。私も自分の気持ちを最優先に生きていていけたら。

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