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Nの正体


どこで道を外れたのか、遊園地周辺を歩いている。確か正面ゲートは逆だから、駅も逆側なのかもしれない。時折1月の強い風に体を揺らされなが歩いている。これから帰ろうとしているのか、それとも成人の式典に出ようと思っているのか?帰宅後、なんて母親に言おうか考えながら歩いている。とりあえず出かけた事実だけはできた。

目の前にあることが全てである。「目にうつる全てのことはメッセージ」とユーミンも歌っている。今この目の前のことがNの全てを表している。Nの濁った目にも、鈍った脳でもそれぐらいのことはわかる。

今、目にうつるものは、大騒ぎしながら車に乗っている「彼」の姿である。「彼」は一体誰だっけ?クリアーには思い出せないふりをしているが、本当は「彼」のことはよく知っている。あの顔、あの声。名前だって覚えている。「彼」が仲間と一緒に出てくるということは、もう式典も終わったのか。きっと終わったに違いない。「彼」とちょっと目があって、そして何かこちらを振り向いて怒鳴った。もしかしたら、いや間違いなく、あの日「彼」が振り向きざまに怒鳴ったセリフと同じだ。ちょっとだけドキっした。悟られまいと無視した感じにしてみた。

「彼」のことを最初に認識したのは小学校の夏休み。それは一年生の夏休みの水泳教室の日。どうしても行きたくないが、それを受け入れない母親。

夏なのに、水に濡れた体は、学校のプールの隣のガソリンスタンドから吹く風で寒く、ましてや「彼」の泳ぎを見ている時なんか、全く何をしているやらよくわからないと心底思う。先生たちは、面倒なのかなんなのか水着にすら着替えないで「彼」を呼んで、そして見本?参考?的なデモンストレーションで泳がせる。泳ぎの得意な「彼」は、その顔を無表情に保ちながら、ゆったり水に入る。一瞬、少し水が冷たかったのか、そんな表情をして、スーッと水中に潜り、スーッとでてきて向こう側まで泳いでいる。

その日、あの日だけはちょっと違っていた。いつも通りの退屈な寒々とした夏休みの水泳教室の日になるはずだったが、ちょっと違った。それは「彼」のデモンストレーションがなかったからだ。「彼」とはさっきまで学校の近くの交差点まで一緒だった。

もうなんだか、やばい!という感じと、やった!という感じ。自分は、本当に正直な自分の気持ちに従って、そこから立ち去った。「彼」は巨大なダンプカーにぶつかった。なんだか「彼」はとてもイライラしていて、なにか自分たちの集団グループに話しかけたりしていたが、誰一人彼を振り向き見るものはいなかった。「彼」を無視するようにたのんでおいたから。

イライラした「彼」は、何か大声でこちらに向かって怒鳴るように何かを伝えてた。約束通り「彼」を無視して自分達は歩き進んだ。その瞬間、「彼」は信号に向かってジャンプして、鳥が気流で舞っているように飛んでいった。そして空に舞った後、落下して、地面に転がった。怖かったし、驚きもした。でも、「ザマアミロ」という気持ちが一番強かったかもしれない。転がった「彼」をおいて学校のプールに向かった。

「いこ!」っと言ったと時も、みんな従ってくれた。あの日は自分がリーダーだったから。呆然としているみんなは、助けられたように自分の言うことを聞いてくれるようになった。あの日以降、誰もが自分の言うことに耳を傾けてくれるようになった。なんでも自分の希望を叶えてくれるようになった。

それからというもの、母親は「プールに行きなさい」とか「今日は水泳教室よ」など言わなくなったし、勉強も友達との遊びも、何か大きな流れのようなものが修正されて、矯正、強制されることはなくなった。とても楽になった。

それまでも「彼」は強い存在だったと思う。少なくとも母親はそう思っていた。母親は「彼」の母親に頼んで、水泳教室に行かない自分をなんとかしようと、「彼」に迎えに来させて、水泳教室に向かわせようとしていた。水泳が得意な「彼」に誘われれば、行きたくないプールにも積極的に行くと思ったのだ。なんとも母親らしい、大人らしい、主観的な想いだろうと、とてもとても不愉快になった。「彼」の水泳のデモンストレーションを見るくらい無駄な事はない、と思ったのをよく覚えているし、報復として、近所のみんなと、自分を整えた。

その日は嬉々として、プールの準備をした。母親も驚くほどに。近所のみんなには、嫌なやつが来るからと気をつけろと前々日から言い含めておいた。下準備は整った。つまり、「彼」が迎えに来るというという状態だけは、完全に壊すことは出来る。つまり、「彼」が迎えに来る時に、すでに、全員で「彼」を迎えるのである。つまり、全ての状況をひっくり返すことができる。

全員でむしろ、「彼」を出迎えることができた。『やっときたよ!』と言った瞬間の「彼」の驚いた顔は忘れる事ができないくらい、痛快だった。それはそうだ、迎えに来たのに、迎えられるなんて。なにからなにまで、上手くいったし、思い通りに事は進んだ。こんな風にすべて、思い通りになるのだ、思考した全てが。この計画にともなう全ての準備が上手く運んだことに、心躍った。感情が揺れ動いた。

その後、(自分たちはそのまま真っ直ぐお寿司屋さんの前を歩いて、学校の正門で信号を渡るのがルールだが)、自分たちがいつも渡らない信号の前で、「彼」は不機嫌に歩き、そして振り向きざまに、なにか怒鳴った後、そのまま前を向いて交差点に突っ込んで、舞って、ころがっていった。

「彼」をそのままに、自分が思った通り、みんなをともなって、そのまま立ち去った。それからというもの自分を取り巻く全て、なにも困ることはなくなった。なにもしなくても怒られることもなくなったし、学校の成績のことも特に言われることもなくなったし、とても自由になった。学校も行く日と行かない日の区別もなくなったし、心配した先生も、いつ頃からか来なくなったし、とても家にいる時間が長くなった。

1月の風に吹かれて、ふらついている自分はとても身体が小さく、髪は伸び放題、ヒゲは剃るほどではない。ヒゲというほどでもない、産毛の長いやつが生えているだけである。久しぶりの外出なので、昔のブレザーが入るか不安だったが、すんなり身体にフィットした。ただ出かければいいのである。それで既成事実は出来上がった。そして今急に思い出した、今日もあの日も「彼」は自分に向かって怒鳴っていたのは『こっちに来いよ!』だった。


おわり

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