映画「キャラクター」を観たあとちょっと悲しくなった話※ネタバレあり

バラエティで菅田さんやFukaseさんが番宣で出てて、面白そうだな〜と思ったので見に行きました。

以下ネタバレなしのあらすじです。

漫画家を目指す青年・山城(菅田将暉)は、お人好し過ぎて悪人が描けず「漫画にキャラクターが無い」と言われデビューが出来ずにいた。そんな中、ある民家のスケッチをしていた時に一家殺人事件を目撃してしまい、犯人の両角(Fukase)の顔を見てしまう。しかし山城は警察にその事は言わず、両角をモデルにした主人公が殺人事件を起こすという漫画『34(さんじゅうし)』を描き発表する。作品は大ヒットし、山城は漫画家として成功するが、作品内で描いた架空事件が本当に起きてしまう。漫画を読んだ両角が模倣していたのだ。そして両角は山城の前に現れ、「先生が描いたもの、リアルに再現しておきましたから。」と告げる。交わってしまった2人、山城の結末とは――


見た感想ですが、とにかくスゴかった。
デビューできずアシスタント生活を続けていた時の山城と『34』のヒットで一気に生活が変わった山城の対比や伏線回収、予測できない展開と結末がスゴくて…語彙力なくて申し訳ないんですが、とにかくすごかったです。上演時間約140分ですが、時間を感じさせないスピード感でした。
年齢制限がかかってるので相応にグロテスクな描写が結構あるのですが、その辺大丈夫な方は是非見てください。

そういうスゲーところはもちろん、漫画を描くシーンとかに興奮しながら(昔漫画家になりたかったので…いかつい液タブにも興奮しました)「すげぇや…」と思いながら見てたんですが、最後のシーンが終わり主題歌が流れてエンドロールを見ている時、なんだか、すごく悲しい気持ちになっていました。

以下、ネタバレありです。見てない方はここで止めておいて、見てから読んでください。









以下ネタバレです。まず結末を簡単に書きます。

『34』の最終話を描けばそのまま両角がそれを再現しに来ると踏んだ山城は、自分と両親と妹がダガーに殺される話を描き、その通りに実家に家族で集まりつつ警察を配備して両角を待ち構えます。しかし両角は「山城一家は本当の幸せな4人家族ではない。本当の幸せな4人家族じゃないと意味が無い」と言います。実は、山城一家は父と母の再婚、山城と妹は血が繋がっていませんでした。一方で山城の妻・夏美が身ごもっていた子どもは双子。つまり山城と夏美とその双子が本当の4人家族なのです。それに気づいた山城は自宅に駆けつけますが、両角が現れて山城を刺します。そのまま家に上がって、山城と夏美を殺そうとする両角。しかし山城が抵抗し、両角のナイフを奪って両角を殺そうとします。
最後のシーンでは、両角が裁判にかけられています。しかし、裁判長が名前・生年月日などを聞くも、答えられない両角。「あなたは自分が誰として裁かれているとお思いですか?」と聞かれた両角は「逆に聞きますが、僕は誰なんですか?」と質問。病院のベッドに横たわる山城が映り、ここで終わります。

両角は「4人家族が幸せの象徴」だとされる宗教的なコミュニティに属していました。しかし、その地域の4人家族の子どもは出生届が出されておらず公的に認められていない子どもでした。両角も同じように戸籍がなく、他人の戸籍を買って生活していました。

そんな両角が最初の一家殺人事件を起こしたのは「幸せな4人家族への復讐」をしたかったからだと思われるのですが、2件目以降は動機が変わっています。「自分がモデルになった漫画がヒットしている、よって自分は認められた」と思い、認めてくれた山城との共同作業として殺人事件を起こしています。
家族もおらず公的にも認められていない両角は、自分をモデルにした漫画を描いた山城のことを「唯一自分を認めてくれた人」だと思った、のだと思います。

山城宅で2人を襲うシーンでは、両角が「僕が漫画にアイデアを出してあげたのにどうしてありがとうの一言もないの!?」ということを言っています。両角からしたら、唯一認めてくれた人に裏切られた気持ちだったんだと思います。

観た後私が悲しくなった理由はここにあります。
両角は誰かに認められたかった、それだけだったんだと思います。たまたま殺人という方法だったからこうなってしまっただけ。自分を認めてくれた山城にただただ応えたかっただけなんだと思います。清田を辺見に殺させたのは「僕のやるべき事じゃなかったから」というのは、清田を殺すシーンは『34』にはなかったから。『34』の再現、つまり山城に応えることだけが両角の目的だったんだと思います。戸籍も名前もない両角が唯一与えられた「キャラクター(=特徴、性質、人格)」が、山城が描いた「ダガー」だったから。
しかしそんな山城は両角を裏切った(=両角のことを警察に話した)。世間的に見れば当然のことではあるのですが、両角からしたら裏切りなのです。

こういうことって現実でもあって、もちろん殺人とかではないんですけど。
この両角の気持ちって、「自分は親友だと思っていたのに相手は自分のことをそうとは思ってなかった」みたいなことだと思うんですよ。「今度一緒に遊ぼうね!」みたいなふわっとしたものを信じて待っていたら全然誘われなかったとか、そういうことです。
これって、実はこっちの側が相手のことをただ一方的に信じていただけなんですよね。別に約束でもなんでもないから、相手にはこっちを裏切っているという認識はない。こっちが勝手に信じて勝手に裏切られたと思っている、というだけなんですけど、こっちはめちゃくちゃ裏切られたと思ってしまう。
こういうのって、逆に自分から誘いに行くだろ、何勝手に裏切られた気になってんの、自分から誘えよ、って思う方もいるかもしれません。でもそれが上手くできない人はいます。上手くできるできない以前に(これは私の個人的な考え方なんですが)本当に友達なら本当にあっちから誘ってくるんでは?こっちのこと友達だと思ってないから誘いを忘れてるのでは?と考えてしまうのもありますし。

私はそう思ってしまう人間なので、両角に感情移入して悲しくなってしまいました。もちろん人を殺したいとかそういうんではないんですが、承認されたいとか所属したいとか、そういうの分かるなって。ちょうどそういうので悩んでいたので、痛いくらい刺さりました、その部分が。



で、悲しくなった理由はそうなんですが、個人的にウオオ…となった部分をちょっと語らせてください。

山城が『34』を描いて売れたあと、漫画を描くのがアナログだったのがデジタルになったり(あんなにアナログにこだわっていたのに)、夏美や家族への当たりが強くなったりと、人格が多少変わっている描写があります。逆に『34』の休載を決めた時には前のお人好しの頃の山城に戻っていて、両角を止めるために最終話を描く時はアナログに戻しています。
そして、両角に襲われるシーンでは山城は両角を返り討ちにしようとします。最初は正当防衛としてなのですが、途中で表情が変わっています。駆けつけた真壁が「もういい」と言っても止めなかった時の表情。笑っていました。
また、「俺があいつの中に入ってあいつが俺の中に入って」というセリフもあります。
『34』を描いたことで、つまり両角と出会ったことで、山城の中に悪が芽生えたのかもしれません。その描写が結構細かくて(前述のアナログからデジタルへとか)スゲーなと思いました。


以上、語彙力も無ければ文章もしっちゃかめっちゃかでしたが、映画「キャラクター」の感想になります。すっごい映画でした。映画館に映画を見に行くことは滅多にないんですが(2017年くらいのポケモンの映画ぶりくらいに先日「くれなずめ」を見にいったレベル)、映画館へ見に行って正解でした。

「くれなずめ」と今回の「キャラクター」で、映画館に行くことにハマりそうです。金欠なのであれですが。今後も定期的に映画見に行くムーブやりてえ。今んとこ「地獄の花園」も気になってます。見に行けたら行く。それでは。

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