コピーライターの言葉は呪詛

糸井重里 氏のツイート「責めるな。じぶんのことをしろ」

このことばは呪詛解除である という解釈をみたが これはほめすぎか

むしろ 氏のことばそのものが、呪詛にちかい

コピーライターのことばは もとより 論理的な議論ではなく アジテーションやデマゴーグのほうに近い

うらがえしにすれば みごとに じぶんたちのこと

東京、 東京は まいあがらずに ふるいものをうちこわし
春先には 疫病が蔓延し 見に来てねともいえない
とうさんとかあさんが ともにくらしていても ふたりともおたがいのことをしらない
目の前でとんでゆくピーチガールたち さきにだれが待っているのか
カエルに言われてはしかたがない えらいひとにいわれちゃ あきらめよう
ぼくは ぼくは おむつをするものである じぶんでじぶんのせわができるまで 

かつて地域社会でたっとばれていた 呪術が 植民地化などによる 地域社会の崩壊にともない 無力化されて それにともない 権威を失いつつある呪術者をみているかのようだ

いまは ねごとではない 夢のことば べつのかたちの ポエジーが必要なのだろう

さようなら