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「ともしびに来て」

 仕事のために、毎日劇場に通っている。
 舞台制作。大雑把に説明するなら、舞台芸術の、舞台上で起こること以外のだいたいを手配するのが仕事だ、と言えるだろうか。英語では便宜上directorを名乗ることもあるが、特に図書館司書や学芸員のような資格があるわけではないので、身分としては有期雇用の一事務職員に過ぎない。

 二〇二〇年、勤務先の劇場でも多くの舞台公演が中止となった。状況を簡単に振り返る。
まず、二月二十六日の政府のイベント自粛要請の前後から、東京都内での公演の中止が目立つようになった。個人的には、この時は全国的に品薄になった消毒薬や非接触体温計、ビニールカーテンなどの調達に奔走した。中止となった公演の対応に追われながら、感染症流行下での対策マニュアルを纏めはじめたのもこの時期であった。
 四月七日の緊急事態宣言発出以降、三か月は全く公演を行うことができなかった。五月二十五日に宣言は解除されたが、舞台は多くの人手と時間をかけて制作されるため、すぐに公演を再開することはできない。必要最低限の出勤で事務作業を続けながら、オンラインで打ち合わせを繰り返した。
 七月から、いくつかの団体、アーティストと協同で、配信用コンテンツを制作し、また、いくつかの配信公演を行った。この頃には既に多くの劇場、団体の配信公演があったが、通常の公演では出来ない実験的な取り組みが行えたという意味では、得難い経験であったと言えるだろうか。
 本格的に有観客の公演を再開するには、八月末まで待たなければならなかった。例年なら完売になる人気劇団の公演でも、客席を半分に減らし、それでも最初は中々客足が戻らなかった。以降、連日の感染者数に慄きながら、何とか状況に対応している。次はいつどうなるか分からない。

 二〇二〇年が終わった段階で。舞台芸術やイベントの界隈では、様々な試行錯誤の末、感染症対策のためのノウハウが蓄積・更新され、運用されている。しかし、劇場以外の日常生活の感染リスクもゼロでない以上(この日常には当然ながら観客だけでなく、出演者、スタッフ、劇場職員など空間を共有する全ての人間が存在する。)、クラスター発生のリスクもゼロになることはない。
 何とか公演まで漕ぎつけても、どうぞ皆様ご来場ください、と簡単には言えなくなってしまった状況が長く続いている。上演団体への助成や、フリーランスの創作者に対しての経済的なフォローも十分とは言えず、夏以降、事業の目途が立たずに廃業する団体や劇場も出てきている。

 現場は限界まで疲弊している割に、「日本の文化芸術の灯を消してはなりません」「明けない夜はありません」というような空虚なスローガンは相変わらず方々から聞こえてくる。別に文化芸術の力を否定する訳ではないけれど、これでは自分たちはまるで「文化芸術の灯を消さないために」くべられ、燃やされてゆく薪の様なものではないか。
 目の前の仕事を回しながら、何とか自分で自分を鼓舞しようとするときでさえ、私自身が使える言葉はあまりに少ない。対して世間に氾濫する各方面の安易なエールには、もはや倦怠感を感じている。それでもどうにか、やっていくしかないのだけれど。

角川『短歌』2021年2月号「いろいろな現場から」掲載原稿より加筆修正。

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