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短歌連作「されど雑司ヶ谷」

この暮れも寒い
都電の車内には老人ばかり目についている

巣鴨のマクドナルドには、
ナゲットに「とりのからあげ」と大きくルビがあるという。

老人は赤いものだと知りながら巣鴨の先をゆく西巣鴨

西巣鴨には劇場がある。
劇場はもともと中学校だった。
その前は墓地だった。

墓地のそばに、もう人のいなくなった古い新興宗教の教会があって、
そこも確かに劇場だった。

乗り換え案内。
一例として、都電を大塚で乗り換えたら山手線は日暮里を経て鴬谷に至る。

欲望と無縁の電車を待ちながら、ホームで抱いていた濡れた犬

都電には老人が多い。
老人は地下鉄に乗れない。
彼らは次、地下に潜る時は埋められる時だと信じている。

その犬とそのトナカイを手放して、わたしが死んだら橇に乗せてよ

神話と伝承が宗教になって、
それから資本主義がやってきて、
路上にコーラの自販機と赤い老人が溢れかえって、

私たちには問う権利さえあるけれど
(いななくだけでいい誰の役?)

でも大概のそれは贋物だって知っている。

一年が終わる。
青物市場の裏に、夏石番矢の幽霊がいる。

一年、また老人に近付いて、
引いた歌の数ばかり増えて、
私のコートは赤くないけれど、両手を空に向けて差し出す。

すべからく幸いあれよ聖夜には迷わず赤い老人を撃て


(『光と私語』第二章より。)


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