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運命に争(あらが)わない生き方

今必死に勉学に勤しんでいる学生の方や、日々仕事に励んでいる社会人の方の中には、「成長したい」「出世したい」「世の中で名を馳せたい」という想いを持って日々の生活を送っている人も多いと思います。

逆に、成長を特に意識せず、なんとなく毎日を送っている人もいるとは思うのですが、生きている中のどこかで「チャレンジしている」と思います。

そして、挑戦している人の中には、等身大の自分の一歩先を目指す人もいれば、途轍もなく高いハードルを越えようと頑張っている人もいると思います。

私自身が現在所属しているベンチャーでも後者が大多数を占めているのですが、最近の私は、敢えて、背伸びをせずに自然体で生きたほうが良いのではないかと感じてます。

なぜかというと、その方が却って自分の幸せな生き方を掴む事に繋がるんじゃないかと思うからです。

「三つ子の魂、百まで」という諺がありますが、意味を説明すると、生まれた時から人間の性格(キャラクター)はある程度決まっていて、幼少期までにそれに輪をかけた人格(パーソナリティ)が形成されるという話になります。

それはつまり、幼少期までで運命のベースが大枠決まるのではないかと思っております。

しかしながら、現実は運命のベースに沿って生きていることを自覚する暇もなく、様々な社会の荒波に揉まれる中で、気がついたら今の立場にいることが多かれ少なかれある思います。

私自身も社会人7年目(2018年)くらいまではそんな生活を送っていたのですが、

今になって、周囲との競争に勝ちたいとか、地位や名声のために、流れに逆らって生きることほどストレスフルな事はないな、と感じるようになってきました。

運命に争(あらが)わない生き方

正直、自分がどんな運命にあるのかなんてわかるわけはないのですが、自然体でいられる自分を追求することこそ、本当の幸せを掴む第一歩だと信じて日々の生活に取り組むことにしました。

過去の自分を振り返る

過去の自分を振り返ってみると、小学生から今までひたすら競争心を持って生きてきたという感覚があり、自分の感性というよりも周囲より一つ二つ杭を出すことばかり考えていました。

小学生の時は、努力でなんとかなったのですが、中学校、高校と行くに連れて、段々と努力だけでは太刀打ちできなくなり、高校生では野球部でレギュラーになれない、また、受験も失敗するという人生初の大きな挫折を経験しました。

この挫折は、今では良い思い出ですが、その当時は挫折をしたから今の自分がいると思える自分になろうと躍起でした。

大学ではダンスサークルの仲間でコンテストに出たり、大学院の研究で海外の学会で発表したり、人と異なることをやることで過去の挫折を挽回しようと試みて、結果的には様々な経験ができ良かったと思ってます。

しかしながら、「楽しさ」ではなく「勝負に勝つ」という事をベースに物事を決めてきた事に対して、本当にこの生き方で良かったのだろうか、と物事を俯瞰して見れるようになった今だからこそ感じることもあります。

自分の運命を探す

「運命」という言葉の意味を調べると、「自分の意志ではどうにもならない巡り合わせ」と言ったニュアンスの言葉が出てくるのですが、人の人生も同様に、

自分ではどうにもならない必然的なもの

なのではないか、と思うようになりました。

だからといって、諦めて何もするなと言うわけではないのですが、自分自身の今までやってきたことを振り返ってみて、

誰から何かを言われたわけではないのに自然とやっていたこと

であったり、

すごく楽しくて夢中になったこと

などを思い返してみて、それを生業とすれば、自分の運命に争わない生き方ができるのではないかと思います。

今の自分の生活に面白みを感じていない方がもしいたら、過去の自分を振り返ってみて、自分の運命のベースを探してみると良いのかもしれません。



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