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第二章 一 古野家 

「コケコッコー、コケコッコー」なんだ、なんだ、僕はビックリして目が覚めた。
あたりはすっかり明るくなっていた。
まだ眠く頭もボーッとしたまま周りを見渡した。
「ここはどこだ。僕はまだ夢の続きを見ているのかな?」
だけどここは水瓶の裏で、僕はヒキガエルのまま。
頭の思考回路をフルに活用しても、どうなっているのか分らなかった。
盆踊りでもらった、お菓子も食べられないまま、一晩ひとばんで僕の人生は変わってしまった。
とりあえず今の状況じょうきょう把握はあくして次の行動を考えようと思い、
ふと見ると水瓶みずがめの横にある流し台の後ろには、水が外に流れるように、壁に排水口の穴が開けられており、その穴から外に出た。
家の裏には僕もよく知っている、天然の水を貯めている桶(おけ)があった。
桶によじ登り中をのぞいてみると、水が並々(なみなみ)と溜まっていた。
のどが渇(かわ)いていたので、水を飲もうと乗り出すとおもわず足が滑り桶の中に落ちてしまった。
「ワァ溺れる」次の瞬間、僕は水の上にプカプカ浮いていた。
むちゃくちゃ泳ぎがうまい、カエルだからあたりまえか……。
潜(もぐ)っても息も苦しくなく快適だった。
水を飲んだり、泳いだりちょっといい気分になってきて、桶から這(は)い上がり家の周りを探検(たんけん)することにした。
台所の裏側には井戸がある。
その井戸から表に続く狭(せま)い通路に小屋が二棟並んで建ち、表に出ると、左側は台所の扉があるが、右側の奥にも小屋が二棟並んで建っていた。
昨夜(ゆうべ)は気付かなかったが、勝手口の横に大きな壺(つぼ)が地面に埋め込まれていて、そのまわりを木の塀(へい)で囲(かこ)っていた。
「この壺はなんだろう?」
その時、ガラガラと勝手口が開き、ぎんさんが出てきていきなりズボンを下ろし、尻りを出したかと思うと、その壺におしりを突き出す格好(かっこう)で小便(しょうべん)をした。
「エエー」僕は驚いて、後ろにひっくり返りそうになった。
なんであんなところに小便するのだ……しかも、人目もはばからず、ン? はばからず……トイレの事で『はばかり』って言ったりするよな、はばかりって言葉は、はばからずからきたのかな?
そんな事はどうでもいいが、ぎんさんの尻を見てしまった。
拡声器から聞きなれた『めだかの学校』のメロディーが流れた。
「ああ七時だ」単純にそう思った。
扉から台所を覗(のぞ)くと、板間に小さな男の子が座ってさつま芋を食べ、ぎんさんは、流し台でなにかを作っていた。
それを大きなお皿に入れ外に持って行き、右側の奥の小屋を開けた。バサバサ、コッコッコと音がして鶏が飛び出して来た。
「ワァー」思わず叫び庭の草むらに隠れた。
鶏はひと際大きく立派な鶏冠(とさか)のある雄(おす)が一匹と、一回り小さい雌(めす)が三匹。
ぎんさんが、皿を小屋の前の地面に置くと、鶏はそれをつつき始めた。
その姿はまるで怪獣のようだった。
僕は危険を感じて昨夜隠れた台所の水瓶の裏に飛んで行った。
しばらくすると、ぎんさんは、卵を三個持って家に入り、卓袱台(ちゃぶだい)の上の皿に入れた。
藤松(ふじまつ)さんの姿はなく、もう仕事に出かけたようだった。
 
「おばやん、おはよう」と七、八歳くらいの女の子が、赤ん坊を背負いやって来た。
「おはよう文子(ふみこ)ちゃん今日もたのむよ、上にあがって」とぎんさんが言うと、その女の子は板間にあがり、背負っていた赤ん坊をおろした。
小さな男の子は片言(かたこと)で、
「ふみたん」と呼びながら嬉しそうに女の子に寄って行った。
ふみたんと呼ばれたその子は、
「義一(よしかず)」と呼んで小さな男の子の頭を撫(な)でた。
義一……知っているぞ、と言うより正確には名前だけ知っている墓に刻まれていた古野家の長男だ。
義一はまだ小さく二歳くらいかなと思う。
「板間は危ないから奥の部屋で遊んでおってのら」と言いながら、隣の部屋に子どもたちを連れて行った。
それからぎんさんは鶏を小屋に入れ、井戸に行き大きなタライに水を汲み上げ衣類を洗いはじめた。
そうか洗(せん)濯(たく)機(き)がないのだ、板のようなものに衣類を載せて、手でゴシゴシ洗っていた。
洗い終わった洗濯物を庭の竿に広げて干した。
干し終わると丸い竹かごを背負い坂を降りて行った。
どこに行くのかと見ていると、坂を少し降りたあたりから、真下の畑に行けるようになっており、畑にはいろいろな野菜が植えられていた。
トウモロコシ、なすび、キュウリ、瓜(うり)、それらの野菜を収穫(しゅうかく)して竹かごに入れていた。
畑の高さと同じくらいの高さに下の家の屋根があり、その家の裏で若い小柄(こがら)な女の人が、野菜を洗っているようだった。
その姿に気付(きづ)いたぎんさんは、「幸子(ゆきこ)さん」と呼んだ。
その人は振り返り「ああ、ぎんさん」と返事をした。
「文子ちゃんが子守りしてくれて助かるよ」
「こっちこそ、文子と敏夫(としお)はかしこうしとらか」
「かしこうしとらよ、昼のマンマ、食(く)わせてからいなすのら」
「マンマまで、食わさんでかまわんよ」
「いっちょんかまわん」
「おおきによ」そんな会話を、交わしていた。
文子は子守りに来ているのだ。
そして赤ん坊は敏夫という名前と分かった。
「待てよ……文子どこかで聞いたことがある名前だな」けれど、思い出せなかった。
ぎんさんは沢山(たくさん)の野菜が入った竹かごを持ち帰り、今度は手桶(ておけ)に井戸から水を汲み上げ、
朝方、小便をしていた大きな壺の中の液体を、水の入った手桶にヒシャクで汲んでかき混ぜ、それをかついで畑まで運び撒(ま)いていた。
あの壺の中に小便を貯(た)めて肥料(ひりょう)にしていたのだ。
その作業を畑全部に撒き終わるまで何度も繰り返していた。
作業が終わる頃には、太陽は空の真上に来ていた。
拡声器から今度は、『どんぐりころころ』のメロディーが流れて、ぎんさんはいそいで昼食の用意を始めながら、奥の部屋に向かって大きな声で、
「文子ちゃん、おかいさんと芋のツルあるで、食べていけよ」と言うと子どもたちは奥の部屋から出て来た。
「たんと食べ」と言い、ぎんさんは茶粥を茶碗についで、文子に渡して、義一の茶粥も、文子の隣の卓袱台の上に置いた。
文子が食べている間に赤ん坊にお乳をあげていた。
よその家の赤ん坊にも、お乳をあげるのだな、屋根越しの会話とか、まるで家族みたいだ。
義一は、ぎんさんが敏夫にお乳をあげている様子を、羨(うらや)ましそうに見ていた。
お乳を済ませ敏夫を、板間の座布団(ざぶとん)の上に寝かせると、待っていましたとばかりに義一は、ぎんさんの膝(ひざ)の上にちょこんと座った。
その様子を見ていた文子は笑いながら、
「義一はまだ、おっぱいがほしいのら」と言ったものだから、
「ちゃうわい」と罰悪(ばつわる)そうに片言で言いながら、ぎんさんの膝から降りて文子の隣に座り、不器用に箸(はし)を握りボトボトと茶粥をこぼしながら食べ始めた。
ぎんさんは卓袱台や板間に義一がこぼした茶粥をつまんで食べ、それから自分も茶碗に茶粥をつぎ食べ始めた。
三人が食べ終わり、文子が赤ん坊を背負うのを手伝いながら、
「今日はありがとう、明日(あした)もたのむのら」と言いながら文子と赤ん坊を見送った。
 
『赤とんぼ』のメロディーが流れて、しばらくして自分の身体の半分もあるほどの、たくさんの丸太を背中に背負い藤松(ふじまつ)さんが帰って来た。
「お帰り」と言いながらぎんさんは、台所から出て来て、丸太を背中から降ろす手伝いをした後、鶏小屋の隣の小屋を開けた。
そこには、沢山(たくさん)の薪(まき)が積んであった。
藤松さんは丸太を大きな木の台に縦(たて)に置き斧で割って薪をつくり、小屋に入れた。
ぎんさんは、その小屋から数本の薪を持って、再び台所に入って行った。
 
藤松さんも数本の薪を持って、井戸の横にある小屋の扉を開けた。
「あそこは何があるのだろう?」
僕は後ろから覗(のぞ)いてみた、そこには大きなかまどがあり、かまどの上にはコンクリートで固められた浴槽(よくそう)らしき物があった。どうやら、風呂のようだ。
藤松さんは、井戸から桶で何度も水を汲(く)んでは、浴槽らしき物の中に入れていた。
終わったあと、ワラに火をつけてかまどの横穴にほり込み、竹筒(たけづつ)で息を吹き込んだ。
すると、いきおいよく炎があがり、そこに薪を入れさらに竹筒で息を吹き込む、それを何度か繰り返し、風呂を沸かしているようだ。
火が付き、風呂が沸き出したのを確認し、藤松さんは小屋の扉を開けたまま出て行った。
僕は間近(まぢか)で見ようと横からよじ登り中を覗(のぞ)いた。
人間がひとりしゃがんで入れるくらいの大きさの浴槽は、コンクリートで
(おお)われた鉄の釜で、真ん中に木の板が浮かんでいた。
底が熱いからこの板を踏んで入る、母から聞いたことがある。
五右衛門風呂(ごえもんぶろ)だ。
「板を踏んで入るのはおもしろそうだが、横も熱いのかな?火傷とかしないのかな?」と少し怖く思った。
次に風呂の隣にあるちいさな小屋を覗いて見ると、便所だった。
肥壺(こえつぼ)には小便だけをして、大便の方はここでするようだ、板間の真ん中に長細い穴が開いているだけのものだった。
さすがにこれは五右衛門風呂よりはるかに怖い。
義一がここでうんこをするのは危ないな、すっぽり落ちてしまいそうだ。
家の奥の方にも小屋がふたつ並んで建っていた。
扉も板を立てかけているだけの粗末(そまつ)なもので手前の小屋には、
ワラがたくさん積んであり、その隣の小屋は大きな壺が十二個、壁際に並んで、僕の好きな梅干しの香りがした。
この大きな壺はたぶん梅干しが入っているのだろうと思う。
壺の隙間がちょうどいい具合で心地よく、昨夜(ゆうべ)からあまり寝ていなかったのでだんだん眠くなり、いつのまにか眠ってしまった。
そして、姉と弟と川で遊んでいる夢を見ていた。
どれくらい寝ていたのだろう目が覚めて、僕は夢か現実かわからないまま、フラフラと外に出ると、ぎんさんは庭で、洗濯物を干していた。
僕はカエルであることも忘れて、近づいて行った。
僕に気(き)付(づ)いたぎんさんは、しゃがみこんで顔を近づけて来た。
近くで見ると姉に似ていた。
僕は思わず、
「ぎんさん、ぎんさん、僕は曾孫(ひまご)の託(たく)未(み)って言うんだ」と叫(さけ)んだ。
「アレ、可愛いカエル様」ぎんさんは、突然両手を合わせ。
「カエル様、百年間、里と家をお守り下さい」と拝(おが)んだ。
「冗談じゃないよ……。
僕はカエルじゃなくて、もとにかえるー」と言ったけれど、
たぶん、ぎんさんから見れば、口をパクパク開けた腹ぺこカエルにしか見えないだろう。
 

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