歳を取るということ【まとめ】
当たり前だけど、年々歳をとっている。
96年生まれのわたしは、2023年で27歳になる。
立派な20代後半だ。
キャリア的にはなんとなく輪郭が見えてきて、プライベートでは結婚する同級生も増えてきている。
歳を取ることに抗う、というか受け入れるために、いろんな先輩たちの「歳を取る」ことに関する言葉をまとめていきます。
※この記事は「歳を取る」ことに関する言葉を見つけ次第、不定期で更新(追記)していくつもりです。
堀江敏幸
30年弱しか生きていない今のわたしでも、何かに触れて呼び起こされる記憶は、恥ずかしかったことや後悔していることがほとんどである。
福永武彦
堀江敏幸と似たようなことを言っている。
ただ、わずかでも残った楽しかったこと、美しかったことの記憶は、黄金色に輝くつやつやとした映像であることを期待する。
西川美和
いまビクビクして上司のご機嫌を伺いながら仕事をしているわたしも、いつかこんなふうになれるのだろうか。
96年生まれなので社会人の中ではまだまだ若い方で、仕事で話す相手も当然年上が多い。
それでも最近ちらほら年下の人と仕事をする場面も増えてきた。
これからはもっと増えていくだろう。
相手が年下なだけでだいぶ精神的に楽になるなと想像する。
が、同時にハラスメントのようなものには一層気をつけなければならない。
若林正恭
いまの日本の政治家がまさにそうだなと思った。
若林さんはこんなことも書いている。
悩む時間も贅沢品ということだろうか。
何事にも一切悩まずに40代50代になる人っていうのはカッコ悪い気がする。そんな人いないだろうけど。
とりあえず今は悩んでいていいらしい。
杉浦日向子
アンチ・アンチエイジング。
自然の流れに逆らうから、苦しみや不幸を感じるのだ。
大事なのは年相応。
でも年相応の基準っていうのも、わたしたちが虚構によってつくっていくものだから困る。
フロリアン・ゼレール
認知症をテーマとした映画『ファーザー』。
自分自身を失ってしまうことの痛みや苦しみは想像しきれない。
エンディングで、アンソニーは母を求めて泣く。
これをフロリアン・ゼロールは「避けようのない人生のプロセス」と語る。
どこまでいっても最期はみな人間に帰る、という点に希望を見出せるかもしれない。
フランク・ロイド・ライト
建築家の津端修一さんと妻・英子さんの暮らしを映したドキュメンタリー映画『人生フルーツ』で出会った言葉。
二人の暮らしは、ゆるく言ってしまえば「スローライフ」「丁寧な暮らし」だ。
誰もが一度はこんな暮らしに憧れる。
けれど自分には無理であろうこともわかっている。
いろんな手入れがめんどくさそうだし、結局お金もかかるんだろうし、そもそもこんな暮らしができるように育ってきていない。
効率至上主義のアンチテーゼとして、こつこつ、ゆっくり時間をかけたものに対する価値の見直しが注目されることもある。
私たちがこの夫婦から学ぶべきは、その根底にある時間の捉え方だろう。
時間とは、流れ去ってしまうものなのか。
それとも、ストックしていける(ためていける)ものなのか。
後者のように時間を捉えて、自分の内部にあらゆる事象に反射するような経験を多く蓄えることが、よりよく生きるコツなのかもしれない。
柴崎友香の大学時代の先生
作家の柴崎友香さんが大学時代に東洋美術史の先生に言われた言葉。
「おまえの自衛隊に関する考えは間違うてる」
「おまえは小説をわかってないからなー。全然あかんなー」
死ぬ間際に、こんなことを言った父親に、柴崎さんは「この人、かわいそやな」と思ったそうだ。
親の生きた時代の価値観と、子どもたちの世代が生き(てい)る時代の価値観は異なる。
下の世代の価値観を認められないというのが一番哀れなのかもしれない。
わたしもそろそろ下の世代のことを、その差異を理解し合えるような関係性を気づいていかなければならない。
Tiktokをインストールした。
向田邦子
実家に帰るたびに、両親の見た目に老いを感じる。
前回帰省した時には、自転車で母の後ろを走っていると、こんなに白髪あったっけ、と思った。
わたしが幼稚園生の頃、前方にわたしを、後方に姉を乗せて、母はママチャリを漕いでいた。
車の運転免許を持っていなくても、自転車でどんなところへも行ってしまう人だった。
その背中はひと回り小さくなったような気がする。
電動自転車をプレゼントしてあげようかと思ったが、自転車を漕ぐのが足腰の運動になるかもしれないから迷う
できるだけ実家に顔を出したいし、息子が日々を幸せに生きていることを伝えていきたい。
宮本浩次
永遠の憧れ。
彼の軌跡を見ていると歳を取るのが怖くなくなる。
彼のように歳を取りたい。
山田詠美
小・中・高とこの感覚はずっとあった気がする。
自分たちがあの3年生のようになれるのか? と毎年思っていた。
一方で、偉大なる3年生たちは、別の場所で1年生となるのだ。
あんなにかっこよかった先輩が、さらなる先輩にへこへこしたり、変ないじりをされたりする。
そんな想像をすると悲しくなる。
でも、大学になると急にその感覚はなくなった。
特に”サークル”という只々遊びだけを目的としたコミュニティの先輩とやらに対しては。
偉そうな態度を取られるたびに「あなたには何もお世話になっていませんけど? 年齢が上ってだけでなぜそんなに上からこれんですか?」と思っていた。
いつから失われた、年上への憧れと敬意よ。
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