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童貞論考

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童貞はどこに行けるだろう? 2/2

童貞はどこに行けるだろう? 2/2

 前回は、社会学者マートンの個人的適応様式の類型論を援用して、人々が態度と手段でどのようにセックスしているのか、を類型化しました。そして、童貞は「セックス」を求めているのではなく、「あるがままを受け入れられること」――承認を求めているのではないか、と問題点を挙げました。その問題は近代自体の問題でしょう。
 今回は、その問題をエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を用いて考えていきます。

前回

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童貞はどこへ行けるだろう? 1/2

童貞はどこへ行けるだろう? 1/2

 以前、童貞はなぜ蔑視されるのかを推論してきました。しかし、ここで「童貞はどうしたらよいのか」について言及せずに終わるのは片手落ちでしょう。
 今回は、人々は社会の中で、どのようにセックスをしている、またはしていないのか、を考えます。そして、童貞の欲求とは何か。それはいかにして満たされるのか、を考えていきます。

以前の投稿

1-1.社会に抵抗? 順応? 渋谷は「日本の童貞」(文春新書)の最後で

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童貞は、なぜ蔑まれるのか?

童貞は、なぜ蔑まれるのか?

 「童貞」は散々、蔑まれています。やれ非モテだ、だらしない、プライドが高い、男らしくない。罵倒はともかく、一応は犯罪である買春までして、さっさと捨てろとせっつかれる始末です。
 投稿者は以前の投稿で、童貞が実態としてどんな人物か、童貞が蔑視される社会の条件や様相、形成の歴史を論じてきましたが、それがわかっても、満足する人は少ないでしょう。そこには問題があり、対立があり、ひいては怒りがあるのでしょう

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童貞蔑視と「セックス」の変化 2/2

童貞蔑視と「セックス」の変化 2/2

 「雇用労働化や若年者の都市への流入といった「都市化」によって、人々が「家」から解放され始め、恋愛が一般化していった」――結婚という行為が社会共同体、地域コミュニティーの領域から、「恋愛」という個人の領域に移行していった、と前回、論じました。
 「家」からの離脱が、「恋愛」という感情と「結婚」という制度を接合させていったと思われます。しかし、この恋愛結婚の一般化は「婚前性交渉の一般化」を意味しない

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童貞蔑視と「セックス」の変化 1/2

童貞蔑視と「セックス」の変化 1/2

 「恋愛」という感情、行動は現代では“当たり前”とされますが、日本でそうなったのは第二次大戦後のことです。恋愛結婚や婚前性交渉の一般化は、戦後日本の社会変動の一部であり、戦後の童貞観の変化はこの影響を受けています。
 この投稿(2回)では、童貞が蔑視される「恋愛とセックスが強固に結びついている社会」が形成される社会背景、社会変動について語っていきたいと思います。

前回の投稿(読まなくても問題なし

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「童貞」とは“誰”か? 2/2

「童貞」とは“誰”か? 2/2

 前回、「シロウト童貞」は「風俗嬢」とお金を介したセックスをし、「非シロウト童貞」が「恋人」と恋愛を介したセックスをする。セックスする相手、セックスする相手との関係性は明らかになりました。しかし、これだけではただの事実の羅列に過ぎず、童貞が誰なのかは明らかにはなりません。
 その金銭的関係のセックスと恋愛的関係のセックス、何が違うのでしょうか?

前回の投稿

2.風俗嬢とのセックス、恋人とのセッ

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「童貞」とは“誰”か? 1/2

「童貞」とは“誰”か? 1/2

 「童貞」であることは恥ずかしいこととされます。しかし、「童貞」は単に性行為経験の有無だけが基準となっているようには思えません。ならば、現代における「童貞」とは誰を指す言葉なのでしょうか?
 この投稿では、「性行為経験の有無」という定義だけに留まらず、童貞とは具体的に誰を指す言葉なのか、を明らかにしたいと思います。「童貞」はセックスという行為だけに限らず、「恋愛」と密接な関係にあり、単純に「セック

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